>>957
>しかし当然、「認識不可能なものをどうやって発見、認識したのだろうか?」という疑問が湧きますね。


その認識不可能というのは何が根拠でしょうか?

唯識三十頌には

 > 不可知執受 處了常與觸     不可知の執受と 処と了となり常に触と
 > 作意受想思 相應唯捨受     作意と受と想と思と 相応す唯し捨受のみなり

とありますが、これは「無意識の世界故に全体をつまびらかにすることはできない」との解釈です。
無意識は実証されていますし、妄想でも観念でもありませんが・・・