>>799
フム。現在のスリランカ仏教、
このテーラワーダの理解(長老とサイト管理人の説明)はとても良いものですね。

>>800
ホーーーなるほど...。
まっ、勝手にするがいいが、君の理解は仏典の記述と明らかに矛盾する。

では聞くが、たとえば君の理解では、
一番弟子として、または後継者として大いに期待していたサーリ―プッタと
モッガラーナの二大弟子が望まれない死に至ったことに対し、
師であるゴータマが非常に落胆して悲しんだ様を見てどのように感じますか?

人間の持つ四苦八苦として予め分かっていて、
尚且つ、すべての苦悩から解放されている筈のブッダが、何を今更..などと見なしますか? 
或いは、“日頃からすべてのものは無常であるから執着してはならない”と説いていたにも関わらず、
自分自身がなんだこの有様は...などとあなたは見なすのですか?

『「比丘たちよ、サーリプッタとモッガラーナが逝いてから、
わたしにとってこの集会は、空虚になってしまったように思われる。
比丘たちよ、サーリプッタとモッガラーナが生きていた頃の思い出がなければ、
わたしには、この集会はなんの期待もない」』
(『相応部』47,14、『雑阿含』24,40/「チューラ(支羅)」)

ゴータマは、
人間の持つ当然の悲しみについては当然のごとくとして受け止め、
また、亡くなった人に対しては敬意を以て接し、決して失礼な扱いはしないし、
生前の感謝と死後の安楽とを願って弔いの儀式(祈り)を捧げます。
それが美しい心の持ち主ということ。