>>762続き

だから釈尊も直接「魂はない」とは言わなかったのです。
正確に、「あなた方が魂だと見ているものは、魂ではないのです。
認識はこの六つのチャンネルからしか入りません」と言えば、正しく中道を守って、「我」を否定しているのです。

我を否定すると同時に、まったく何もないという虚無主義も否定しているのです。
「何もない。ただの無だ」という虚無主義も、「魂はある」という実体論も否定して、因果法則で、ものごとは因縁によって生まれるという、中道を教えているのです。

仏教における仏教の立場からは「我はない」と言わ
なくてはいけないのですが、そういう否定的な言葉を使うと、何かを否定することですから、またそれも、ある極端論に陥ってしまうのです。
だから、「ある」でも「ない」でもなく、正確に、「因果法則によって流れていくのだ」と分かる
のが、悟りの世界です。

みんながショックを受けるのは、自分がずーっといると思っていたのに、それがないと体験したからです。でもショックと言うよりも、これでスッと楽になる
のです。
今まで無駄な苦しみを味わっていた、余計な束縛、余計な苦しみを味わっていた、と分かる。
瞬時に楽を感じる。
それを預流果と言うのです。

(アルボムッレ スマナサーラ 他2名
ブッダの実践心理学 (アビダンマ講義シリーズ―物質の分析) (アビダンマ講義シリーズ (第1巻 心の分析))