現実には永遠なる自己はありませんし、私たちがそれにしがみつけるような確かなものや、不変のものなどありはしません。

我(アッター)というものは、実際のところ、単なる概念にすぎず、誰も存在するものはおらず、ただ地水火風といった四大が一時的に結合しているだけです。
私たちは身体を指して、「人」とか「私」などと呼びますが、勝義諦としては「私」などというものはなく、ただ無我(アナッター)であるのみです。

無我を理解するためには、瞑想をする必要があります。
もし、あなたが知的な方法で無我を理解しようとするなら、あなたの頭は破裂してしまうことでしょう。
一度でもあなたが心から無我を理解したなら、人生の悩みは霧散するでしょう。

おまえさんは本当は、四大(地水火風)が結合したものか、変化し続ける五蘊の集まりに過ぎないのじゃ。
もし、心が自由なら、現象を区別することはない。
「大きい」「小さい」「あなた」「私」なども存在しないのだ。
わしらは無我(アナッター)という表現を使うが、究極的には、我も無我もないのだ。

アーチャン・チャー長老
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