>>614
フーム。。
因縁果さんは、時々いいことをいうね!

>>86
>涅槃という境地は、認識概念では説明不可能です。
>すべての概念は現象の世界を指しています。
>現象を乗り越えた世界に対して、言葉も概念もありません。

アートマンの説明とて同じこと。
それは現象世界を超越したものです。一体、何が違う?

>最初から自我はなかったのです。
>自我があるとは人間の錯覚·幻覚です。
>覚りに達する人には、自我の錯覚が消えます。
>幻覚が無くなるのです。それだけです。
>覚った人に、今までなかったアートマン (自我)が突然現れるはずはないのです。

今までなかったアートマンが突然現れるのではなくて、
元々からあったアートマンに(初めて)気付くことが本当の覚りです。
これまでのアートマンではないもの、
つまり、間違った自我の錯覚は理論としてではなくて、
自身の実体験として完全に消える。

>>224
>※ここが、一番のネック。 ただ、2500年の間にも、宝珠のような考え方を許容出来ないが故に
> 阿頼耶識なり何なりがでてきたりしながらも、彼らの言う「我」を認めることができなかった。
> 2500年間、膨大な人数の行者が、その方向性を採れなかったことを、もっと重く受け止めるべきだろう・・。

それは逆でしょう。
矛盾してる無我(アートマンはない)なんてものを継承してるから、
2500年の間にも阿頼耶識なり、如来蔵なりがでてくることになる。
また、どうしても仏性という概念を無くすことはできなかった、と...。
そりゃそうだ。無我のほうこそが間違った理解だったのだから。
そこには必ず無理が生ずるから。