>>327
>>>325-326の相応部経典の仏説からは、
>釈迦は呪文や祈祷や式典を否定するのみにあらず、葬式までをも否定しかねなかったというのがうかがえる
>
>今の世でいえばいくら葬式で花をあげて立派で高い戒名をつけて焼香してお経をあげようとも極楽浄土にはいけない
>涅槃や浄土や天界にいけるかいけないかはそういったものの力ではなくあくまで生前の善行為による善業の力である
>悪業を積んだ者はいくら立派な葬式をしても地獄に落ちるということになるね

あっ、肝心なレスをすっ飛ばすところでした...。
ハッキリいって、あなたはテーラワーダや原始経典や藤本 晃氏の翻訳解説著を読む割にはまったく分かってないな。

ゴータマが仏弟子たちに対して「葬儀に関わるな」と説いたというのは、
バラモン呪法やバラモン祭祀に対するものとまったく同じものであり、
その理由は自らの説く解脱成仏法であるところの三十七菩提分法の修得に完全集中しなさい、
ということを徹底したいが為です。
それは、別に葬儀そのものに対する否定意などではないから。

その証拠に、
仏教教団における一番最初の葬儀とは、
ゴータマ自らが執り行った父スットーダナ王の葬儀です。
その内容のすべては息子であるゴータマが自らすべてプロデュースし、
最後に父の棺を自らの手で抱え上げて運んだ(今日の棺の手運びはここからきた)。

それから、
先ほどの『先祖・施餓鬼供養』藤本 晃著の論文>>594を読めば分かる通り、
確かに、戒名はおろか死者に対する行為による直接的な救済はないけれども、
遺族や子孫が執り行う供養のその行為を死者である当人が気付いた時に、
その気持ちの対する有難い感謝の念が自身に自然と沸き起こることで、
自動的に自らの心が浄化され、その結果として死者自身の向上に繋がるということ。
これは原始経典の中でゴータマ自らが説かれた教えです。
ゴータマが葬儀や供養を否定したなどいう理解なんてトンデモナイことです。
反省して欲しい!

仏式葬儀の起源
http://www.osoushiki-plaza.com/institut/dw/199809.html