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≪テーラワーダと大乗の運命≫

 大乗仏教が、自分と違った仏教徒たちを「小乗仏教」という蔑称で呼ぶのは、学問的にも正しくありません。
自分の教えに「大」を付けるのはかまいませんが、他人の教えに「小」を付けるのは仏教の基本的な考えにも反します。
仏教は「生命は平等だ」とします。他をけなすことを悪いことだとするのです。
 しかし、テーラワーダ仏教も、大乗仏教に対して、「お釈迦さまの教えではない」という立場をとります。
言い換えれば、「仏教でも何でもない」というようなニュアンスです。
互いに汚れているのに、相手に向かって「あなたは汚い」と言えたものではありません。
 仏教は、お釈迦さまの教えです。お釈迦さまの教えがなければ、仏教は存在もしないのです。
ブッダがすべての生命に、今ここで幸福に達する道を示されたのです。
仏教徒たちは皆、仲良く、争うことをやめて、世界に平和と幸福への道を教えたほうがよいのではないかと思います。
それをする上で邪魔に なるのは、各宗派のしきたりや習慣です。また、各開祖たちの教えです。  
 開祖の思考は、本師の思考より優れているわけではないのです。この問題を解決する方法があると思います。
テーラワーダ仏教・大乗仏教というのではなく、テーラワーダ文化・大乗文化と命名すればよいのです。