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外道の独り言 9
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0001神も仏も名無しさん 垢版2018/05/12(土) 05:57:04.76ID:wjY7fqmc
 
「ここは誰もが好き勝手に書き込んで良い」というスレではありません
このスレの趣旨は、仏教に関する様々な論点に関して
パーピマン殿が私見、疑問点等を提示いたします
「外道がぶつぶつと独り言を書き散らしているスレ」です
極めて恣意性の強いスレであることを了解願います
上げておりますのは、別段大勢の人たちに来てほしいからではなく
(むしろその逆で過疎って欲しいくらいです)
「真摯なる碩学」が
パーピマン殿の書き込みを目に留め、その瑕疵を指摘してくれることを望むが故です
自由に好きな相手と対論したいと思う人は、このスレを覗かずに他スレに移動してください
昨今、スレ立てが大変困難であり、好き勝手にスレを消費されことは大変迷惑なのです

自由に書き込みしたい方は↓こちらへ
ひだ =^・ ・^= まり
ttp://super2ch.net/test/read.cgi/mattari/1505400181/?s2
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前スレ
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0448神も仏も名無しさん垢版2018/05/20(日) 01:42:43.52ID:4tesRFej
現在知覚しているものの、上に、空というイメージを覆い被せて、見ている
このような見方をしていることは、空を悟ることではないと思う
智慧と、空はイコールであり、何ものにも寄らない、という原始経典のような思想とも共通していると、感じる
何処にも行かないというのは止まることであり、真ん中であり、偏りがない
そして、仮論寂滅などの、言葉ともぴったりくる
歓喜に束縛されず、感官を制するのであるから、足の痛みは、当然耐えられないが、その、耐えられない苦しみに、対処することができるものが、日々の瞑想? 坐禅?
なんらかの修行体系の成果としてあったのかもしれない
そのようなことを教えてくれるところは、どこにあるのだろうか?
わからない
しかしラマナマハルシは、体に対する執着が低く、医者の好きなようにしたらいいと言ってたと本で読んだような気がする

まあ、ぼくは、所詮、想像を巡らせているだけに過ぎないが、、、

極端に優れた人かいるようにも見えない

わからないものには、わからないように、できているのだろうか
0449神も仏も名無しさん垢版2018/05/20(日) 01:57:31.64ID:2zf5wlYh
>>447
次の単語は、taṇhacchidaṃ
覚った方は、身体に痛みを感じてもそこから煩悩を作らない。
耐えられない痛みがあっても、嘆くことはない。
釈尊は病気になったお坊さんにお見舞いすると、痛みは減っていきますか、増えていきますか、耐えられる痛みですが、耐えられない痛みですか、と訊く。

覚ってるお坊さんなら、「いま耐えられない痛みがあります」と仰るだけなんです。
何とかしてくれと縋ったりはしない。
科学者がコーティング素材として金(ゴールド)を見てるようなものです。
覚ったあとは、色受想行識に執着は何もない。
考えるときも、考えなくてはいけないから考えるだけ。

煩悩なくただの機能としてやっているんです。
そうやって、我々の生き方と比較して、それがない世界が覚った世界なんです。
(スマナサーラ長老の仏教法話)

痛みを感じなくなったから如来なのではなくこの痛みは空なのだなと観じて、それによってやはり空である五蘊への妄想を膨らますこともないので嘆くこともない
五蘊への執着は何もないのですから。
そうして煩悩なくしてただの機能として生きていって死を迎える、それが如来なのです。



1001.(1002) 〔わたしは〕死を喜ばない。〔わたしは〕生を喜ばない。正知と気づきの者として、この身体を置き去りにするであろう。
1002.(1003) 〔わたしは〕死を喜ばない。〔わたしは〕生を喜ばない。しかして、雇われ者が報酬を〔待つ〕ように、〔為すべきことを為して、死の〕時を待つ。
(小部経典 テーラガーター 17章三十なるものの集まり サーリプッタ長老の詩偈)
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