>>413
意識も無意識も、わたしの意志によってあるのではなく自然に、原因、縁によってある
常にある主である真我とは、意識が広がる以前の、心臓にあるもの
その空洞の広がりが世界となって円鏡に反射している
常にあるといっても、知覚が、それを認識して理解しているわけではない
常住不変の、その、広がりを、存在と感じるか
それとも、その広がりや、安らぎのないものへ至るかが、ちがう
まったく認知されないもの
そこには、真我という存在がない