>>19-20
>比丘たちよ、生まれることがない(不生)、存るとはいえない(不存)--中略--
>大変難しいフレーズですが〜

だから私は、その涅槃を涅槃であるとして、
涅槃ではないものからの出離として覚知しているのは誰なんだと聞いてる。
まっ所詮、あなた方には絶対に答えられる筈がないが...。

>>21
>お釈迦様は初めから「無我で、因縁性です」と言われたのに、涅槃に入られて100年も経つと、
>仏教の中からあらゆる工夫をして「何か実態があるんだ」という必死で言いたがる声が出てきたんですね。

イヤハヤ逆ですよ。まったくの真逆ですから!
ゴータマは元々から、「アートマンは無い」などとはいったことがないのに
(「アートマンはこの現象界では知覚されない。故にアートマンでないものをアートマンと誤認することなかれ」といっただけ)、
ゴータマが涅槃に入られてから100年以上を経過してから発生した部派仏教らが、
勝手にゴータマが、「アートマンは無い」と説いたということにしたのです。
このことは、学問的にほぼ確立した事実であり、すでに定説となっているのです。
あらゆる工夫(これには工夫はいらなかったが)をして「バラモン・ヒンドゥーなどとは仏教は違うんだ」と必死に語る派が出てきた。
現存する仏教教団のすべてはこの部派の教義であるアビダルマ(の影響)というのを受け継いでいる。