もともと(禅)問答は、ライブで相手の分節された世界をぶち壊し無分節の世界に導く為の活作略だったと思う。
それが、集められ語録という文学書となり一時期禅は形骸化したけど、ライブの追体験という公案の方法により息吹を吹き返したのでは?

碧眼録はそうしたライブを記録した文学書だけど、無門関はライブの追体験、公案を前提とした問題集になってると思う。

公案は否応無しに無分節の世界を最初から相手に投げ掛けて、相手の分節の世界を否定しまくり追い詰めてぶち壊す。
もちろん、ぶち壊した後でまた分節の再構成をするんだけど。