奈良:この場合、涅槃(ニルヴァーナ)というのは、「心の安らぎ」という意味で、とってよろしいと思うんですね。
教学的に難しいことを言えば、いろいろ出てくるんですけれども、心の安らぎと言いましても、決して老とか死というものを、嫌だ嫌だ、と言っていたわけですから、それが綺麗になくなっちゃうわけじゃないんですね。
そうじゃなくて人生生きておりますから、いろんなことがあるに違いない。
死にたくない、というのもございます。「歳を取って嫌ですね」というのもむろんございます。
ただそうしたことが感覚としてはありながら、それをカチッと受け止めながら、しかしそれに振り回されずに乗り越えていくところに、心の安心を得るという。
よく言われる言葉を使うならば、その意味で安心して悩めみたいな言い方がよくあるんですけれども、
むしろ悩みは悩みとして、物理的な悩みは消えないんですから、それを乗り越えるところに安心を得なさい、という、そういう意味での涅槃です。
 
草柳:そうすると、涅槃というと、つまり彼岸の、あちら側の世界のことではなくて、つまり生きていくプロセスの中で、そういう安心立命、安心の境地というか、心の平安を保っていくと。
そのことを言っているわけですね。
 
奈良:そういうふうにみるべきだと思うんですね。
ですから涅槃というのは、何かある一定の時に、パッと何か精神が開けて、確かに一つの直感があって、なるほど、と思うことが当然ありますけれども、
むしろ大切なことは、その一瞬にわかったというだけではなくて、それが有ろうと無かろうと、常にいろんなことにぶつかるたんびに、
例えば今日のテーマの脈絡で言うならば、無常なるものは無常と見、無我なるものは無我と明らかに受け止める毎日毎日のプロセス、そのプロセスの中に心の安心という涅槃が現成(げんじょう)していく。
そういうふうにみるべきだと思うんですね。