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伝統的には、朝鮮半島は1948年8月15日の朝鮮半島南部単独での大韓民国建国までは一つの国家だったので、北朝鮮に於ける宗教生活は南朝鮮に於けるそれに近かった。
少数のキリスト教徒やシンクレティックな天道教信者も居たが、北朝鮮の人口の殆どは仏教徒と儒家だった。

20世紀前半には、平壌は朝鮮半島に於いてキリスト教の中心地だった。霊的復活は(1903年の元山・リヴァイヴァルを受けて)1907年に起こり、1945年には人口の13%がキリスト教徒だった。
これらの特徴が理由で、この都市は東洋のエルサレムと呼ばれていた。日本による占領はキリスト教の活動を抑圧したが、完全には排除されなかった。
1948年までに平壌は重要なキリスト教の中心地となっており、30万人の人口の六分の一がキリスト教徒だった。1948年9月9日の朝鮮民主主義人民共和国建国の効果の方が更に劇的だった。

ソビエト連邦の軍隊が朝鮮半島の半分を占領した1945年から朝鮮戦争休戦の1953年までに、多くのキリスト教徒は北朝鮮政府によって「悪分子」として見なされ、社会主義政権の反宗教政策から逃れる為に南の大韓民国に逃亡した。

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北朝鮮政府はキリスト教(特にプロテスタント)を欧米各国と密接に結び付いていると見ており、厳しく鎮圧している。北朝鮮政府によって出版されているキリスト教に関する事実と像は、仏教に関するものと同様に、殆ど全ての外国の観察者によって論争の的となっている。
多くの脱北者はキリスト教信仰に対する信奉は如何なる形であれ、ただ単に聖書を持っているだけでも、逮捕や強制収容所に送られる理由になり得ると証言している。

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教会堂はプロパガンダを目的としてのみ建てられたと指摘している。外国人は常に国家の監視役に見張られる形でのみ、儀式に参加する事が出来る。
目撃者は講話が北朝鮮を賞賛する政治的内容と宗教的メッセージとを混ぜられた内容であり、一部の牧師は偽りの無い宗教的訓練を受けていないらしいと報告している。
北朝鮮でのキリスト教は公式には朝鮮基督教連盟という、外国の教会や政府と接触する責任を負う国家によって統制される団体によって代表される。