>人間の営みに於ける価値観は時代背景にも左右されると思うのですが
>その時々の価値観に合わせるという事でしょうか?
>それとも決め付ける善悪などそもそも無いというお考えでしょうか?

それらはむしろ他の種属の生物に聞くことですね。知らないのは、人間の、
特に狂人イエスだけです。
人間も動物の一種属に過ぎません。動物の唯一の普遍の本質は、「種属として
生きること」です。「生きる」とは「肉体の維持」であり、精神は、状況に応じて
肉体から発し、肉体を維持する機能に過ぎません。肉体が死ねば、死者に
とっては、この大宇宙を含む「すべて」は消滅し、永遠の無となります。肉体の
認識器官が消滅するからです。宗教を含むすべての営みも消滅します。
生きている限り、肉体は肉体を複製し、行動し、あらゆるものの認識が
可能です。すべて、肉体に宿る生命の機能です。肉体(生命)以上に、
複雑、神秘、万能なものはありません。人類の発生以来、人間はこの
肉体(生命)の機能により、この巨大な文明と文化を生み出しました。
肉体(生命)の維持が、生物としての人間の唯一の普遍の本質である以上、
人類についての真理は、この生存のみに宿ります。それ以外にはありえません。
人間が「肉体(生命)の維持」という唯一の普遍の本質に反しない限り、人間が
何をやっても、何を考えてもよいのです。人間は、共同体によらなければ、絶対に
生存できません。従って、「善とは、他者の生存と助ける行為。悪とは、他者のl
生存を害する行為」という、唯一の技術的ルールが不可欠となるのです。
共同体における生存(共生)に必要なのは、この他者に対する「行為」のみ
であり、個人の内心の意思など無関係です。
この肉体(生命)は「価値」ではありません。人間のすべての価値を生み出す
根源です。旧約聖書は、この「生命」を「神の息吹(聖霊)」と呼びました。
この肉体(生命)という、人間にとっての唯一の普遍の本質に思い至らなかった
のが、まさに狂人イエスです。