「世の中に」(と言って襖を開ける)「雪ほど黒いものはない」(と言って手をかざして外を眺る)

こんな感じでしょw


つまり言語脱落とは、「本質」脱落を意味する。
そして、こうしてコトバが脱落し、「本質」が脱落してしまえば、当然、どこにも裂け目のない「存在」そのものだけが残る。

禅本来の見所から言うと、「山は山にあらず」という矛盾命題の指示する絶対無意味の次元から、
人はさらに翻ってまたふたたび「山は山」という有意味性の次元に戻らなくてはならない。

(井筒俊彦 意識と本質−精神的東洋を索めて)