完璧なる無信仰者であった亡き父も晩年に四国は十八か所巡りを歩いてして
同行二人の奇跡的な不可思議を実感したみたいだぞ。
しきりに不思議なことがあると言っていたわ。

信仰の入り口と根幹とに不可思議が横たわっていている。
イエスはバプテスマ後、聖霊に目覚めて奇跡実行者となった。
釈尊は死後に神格化されて不可思議を付与されたが、釈尊自体は
奇跡から遠かった。しかしその釈尊ですら、奇跡や不可思議を容認した上で
対機説法した。