徳川家康は 天下統一後、幕府は某有力地方大名の地元の菩提寺(主に高野山)を 忍者を潜入させて焼き払った。
さらには、その領地を取り囲む結界の要所のすべて幕府の寺社に塗り替える念の入り様。

その時の外様藩忍者と幕府方忍者の水面下での攻防は、激しいものであったことは、想像に難くない。
しかし外様方の戦った者たちがどんな人々だったのかは、何も残っていない。

ひとたび お家の菩提寺が完全に破壊され、僧侶がカロされ 宗教儀式が不可能になってしまうと、
魂ぱく(ヌーミノースム)の弱体化が起こり
もはや二度と、幕府と対抗できる力は無くなってしまう。

これと同じことが、十七条憲法第二項 三宝をあつくうやまえ にも当てはまるのではないか。
 現在も施行中であるにも関わらず戦後、ネオコンによって完全に封じられている。
三宝は 古代世界の国家建立の鉄則であり、これが毀損されることは、 現在の様な悲しい有様となる。
うそと邪悪が我が物顔でのさばり、ひとびとの多くが精神を患い、霊障が楽し気にばっこする。
人々は 本来の自分をすっかり忘れて 悪にたいして対抗できなくなる。

私たちの住む町は 決して歴史の表面に出ることのない 多くの人々の尊い犠牲によって 今日我々に与えられている。