今朝のネタは現実と妄想の違いは?心見の見る聞く以外に物理現象とうものが我が身や周りの身に起こった時は現実かも?
玄沙和尚は修行の旅にでようとして足の指を石にぶっけ血を流してこの居た身は何だ妄想であるのか現実なのかと追及し
たとか?皆で同じテレビドラマを見ても物理的には光の放射でそれを受け頭の中で情報として記号分析して何何さんだと認識する
のは現実と言えるのか?見た人はその人の情報が入っていてみな何々さんだと認識する?これは現実に同じ人と光の集まりを
同思うんだろう。?あれ何だ頭は瞑想のシステムが生まれながらにある。僧じゃないと視界は何の意味もない物理法則だけ?
情報とは光通信は光速に拘束されるのか光の速さを決めたルール制作者は光以上に速い世界に居る野鴨。その人は時間空間を
決めるとき光速が無限ではコンピューターの容量が足らず光は秒速30満メートルにきめたの鴨。私の頭の容量ははるかに
小さく妄想しても迷走するだけ目の前の身のたけを守るのに使い果たすのが利口な考えで瞑想は暇人の娯楽でもこの世の苦しみ
を少し逃れられる野鴨。まあ何とか感とか文章をひねり出し意味不明でも長くなった。私には輪から内しか解らないけど
輪の外はあるのだろうか?私の現実はこの世うに何も考えない座禅的で失敗多いあ座禅に責任をなすりつけた?
この世では頭を働かせ細かいところも注意して用心しないと、無思考では失敗の宝庫とあ軽く宝庫苦だあ