海印三昧 ・・「この法が滅するときは、我が滅するとは言わない。まさしく「不言我滅」の時は、すなわち「此法滅時」
である。滅とは言つても、それは法なのである。法であるから対照的な物では無い。対照的なものでは無いから、汚される無
い<不染汚>。この汚されていないという事が、すなわち諸仏・諸祖である。「汝もまたこのとおりである」と言われる。誰が
吾でないものが一人でもあろうか。前念後念みな吾であるから。この滅はさまざまな見方が伴っている。例えば滅は、仏から
言えば無上の大涅槃である。凡夫から言えば死である。外道から言えば断と言う執見である。また二乗(声聞・縁覚)から言え
ば安住所である。このようにさまざまな見方はあるけれれども、その全てが滅の功徳である。(そのうち続く)・・・
?用するに我々は今役を演じていて明石家三枚レコードに記録された映画の位置場面が身得ている野鴨。我々は色迷つて
いまは段段墓バカ死苦お先末暗のように見えても。それを見ている仏が私の眼でこの世うに見させられる法則に縛らく
下がつているだけなのか?未来は字我如来に巡り会いたいで?ミストラル https://www.youtube.com/watch?v=ZWgZEiqisNQ