【イエス】 あなたは愛されている part21 【キリスト】
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あなたは神様の前に誰であるか、
あなたはどこから来てどこへ行くのでしょう
あなたは何者なのか
互いに論じ合いましょう。
「我はありて在る者なり」
イエス・キリストは神です。
人に表現された神、人に表現された愛。
神は愛です。(愛の天使)
プロテスタント注意報発令。
揉めずにあぼん推奨。
前スレ
【イエス】 あなたは愛されている part20 【キリスト】
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1522920238/ 真のクリスチャンってどんなだろうね
色んなことを書き込んでるようだけど
みんなそれぞれ違うよね 今更なんだけどサチエさんてクリスチャン?
正直言って彼のいう事は全然わからないのだけど。
何故私に教会へ行きなさいなんて言うのかしら
まともな牧師に話を聞け、なんて^^;)
エラそうにするのか分かりません。 >>791
教会には属してないけど洗礼はしてるよー
言ってることが分からないのはまちこ教とまちこ教に出会う前のカルトの価値観がデフォだからだと思うよー シャロンさんが登場したと言うことは、あのストーカージジイの隠居が目覚めるかも知れない。
警戒を厳と為すべし。 ご隠居の生み出した妄想、悪霊イエスを是非キエェェエエエェーで退散!!して欲しい😇 >>792
どうして彼は教会へ行かないのかしら?
受洗したって何処でなのか、現在もそこに教会籍があるのかな
彼からは余りキリストの愛が感じられないしキリストの香りが匂わないのだけど、
言って事は部分的にキリスト教みたいだけど。 >>795
彼というか「私」だけどなw
シャロンさんにとってのキリスト教はヘーゲンの価値観だからしょうがないすねw どんなに記憶を改竄しようとも、息子の与作を見殺しにした過去が書き換えられるわけではないよ。
あくまでも己の罪を認めたくない隠居なのであるが、その為の心的補償行為が徹底したイエス批判なのである。
つまりだ、真実はイエスが狂人なのではなく隠居こそが狂人なのだ。
イエスが人殺しなのではなく隠居こそが溺れる息子を見殺しにした。 これが事実だ。 >>796
私事で失礼とは思いますけど、ヘーゲンの価値観から逃れようと
もがき苦しんで何日もまちこさんと遣り合ってるの解って頂いてないの?
矯正しようと4年も前から新しい教会へ通っているのに。 隠居は「他家の息子が溺れ死んだ」と強弁しているもの、前後関係を含めた隠居証言の不自然さから、
その息子とは「隠居自身の息子(与作)」であったことが、長老の暇人さんによって喝破されている。
同じく長老の千葉猫さんも、その事実を追認して、隠居の息子が九九も覚えられない出来損ないの与作であった
ことまで確認されている。
>>隠居
既に事実は白日の下に晒されているのだ。観念しろ。
果てしないイエス批判をしたところで、隠居の魂は干からびるばかりなのだ。
自らの過去に真っ直ぐに向き合って、己が罪を悔いてイエスの慈悲心にすがって赦しを乞え。 >>798
うーん、ヘーゲンから逃れるというか、まちこさんに認められてないことに感情的なリアクションを取ってるように僕には見えます
それに二人はよく似てるところあると思いますよ >>800
>まちこさんに認められてないことに感情的なリアクション
それ全然違うのですけどそう見えるなら悲しいですね、正直言って。
ですけど以前とは違って私の方がまちこさんを理解したと思ってます。
良い意味じゃなくて理解し合えない事実を認識できた、という意味でです。 >>801
スピだから、跳ね返せば良いと思う。
ただ、シャロンは管理上まちこをあぼん出来ないのが疲れるね。
俺も、まちこはあぼんしないけど。 マチ子さんは一貫して「十字架のイエスは蛇」説を信奉しているが、
シャロンさんは、この説を明快に否定しておりますね。
マチ子さんとシャロンさんの違いは鮮明なのであって、
ここのところを見ないで一緒にされたのでは、シャロンさんも納得ゆくまいと思うよ。 まちこさんは魅力があるしへーゲンは部分的には同調できますが
根幹的な部分でやはり違うと直感ですね。 >>801
はい、僕の勘違いだと思いますけど、シャロンさんは本当にまちこさんが大好きなんだな、とよく思います >>803
十字架蛇説はトンデモだけど、散々語って最近はまちこさんまともな理解になってますよ
キリストが罪を犯した、罪そのものになった、を否定してますし
昔はそう言ってたのですけどね >>804
まちこと、ぷりならだけマークして、雑魚はあぼんで良いんじゃない?
シャロンの聖書抜群に逆らうのは要らないよ。
揚げ足取りも居るし。 >>キリストが罪を犯した、罪そのものになった、を否定してますし
本心ではなく、批判をかわすための方便だと思っていますけどね。 ( どうなのでしょうかね キリスト論という神学的側面ではシャロンさんはいわゆる正統で
まちこさんはいわゆる異端になるとは思う(本人がここは常に明言を避けるので断定はできないけど)
ただまちこさんと似てる、というかおそらくはまちこさんあるいはその前の教会の影響が見られるのは
信仰と現世での出来事(事故や死亡)を結びつける発言が見られること
もちろん保守的なキリスト教ではこの傾向はそれなりに強いとは思うだけど
こういうのは、伝統的あるいはエヴァンジェリカルな人たちではあまり強調されないように思う
ただし俺は外からそういうクリスチャン(特に英米のクリスチャン)の書いたものを読んで
そう感じてるだけで、実際の保守的クリスチャンは現実の会話などでは
信仰と現世の出来事を結びつけることが多いのかもしれない >>808
あれ、めちゃ根拠提示しまくったので、あれで主張が変わらなければ聖書無謬説のプロテやめたほうがいいすよw
キリストの無罪性は彼女はもう受け入れています
なので十字架の蛇や罪そのものになった、は「人類の罪を購ったことの深みの表現」というまっとうな解釈に変わったと思ってますよ >>808
餌を与えると言い訳が上手くなりますからね。
ただ、スピ信者を騙す手法は、まちこも変えられないから、そこを突っ込めればね。 >>803
レスをありがとう。
一番大切な十字架の根幹の受け止め方が違うので全てが違うように
感じています。余りに言うのでと しつこい! と叱責されましたけど。
彼女は蛇と言った事は無いと言い、辻褄が合わないので疑問を呈すると
嘘つきと言ったのですよ。
まちこさんはどうかしている。
今夜はこれで失礼しますね、おやすみなさい。 皆さま、それぞれに尊いご意見をありがとうございました。
それではおやすみなさい >>814
おやすみなさい
俺は花粉症全くないんだけども
最近の風の強い日は、さすがにちょっと目が痛くなるね
ヒノキ花粉がすごいらしい 日本福音主義神学会中部部会理事長兼リバイバル聖書神学校校長
山崎ランサム和彦牧師
キリストが十字架にかかられたとき、
彼は私たちの罪そのものとなり(2コリント5章21節)
のろいとなってくださいました(ガラテヤ3章13節)。
元キリスト同信会伝道者 藤尾正人
キリストが木の十字架に釘つけられ罪そのものとなりたまい
http://www.t3.rim.or.jp/~fujio/INTER/INTER13/int1312.html
ノーステキサス日本語バプテスト教会 中尾牧師
罪人となり、いや罪そのものとなり、
神の裁きを代わりに引き受けてくださいました。
http://penguinclub.net/sermons/rom/rom8-14.html
広島キリスト教会 植竹利侑名誉牧師
神はわたしたちの罪のために、イエス様を罪そのものとされた。
呪いそのものとなり、罪そのものとなり、
イエス・キリストは十字架で苦しまれた。
https://hirokiri.org/mm_start/start06.html 日本基督教団 牛込払方町教会
神の子、神と同じ方が罪そのものとなられたのです。
http://ushigome-haraikatamachi-church.server-shared.com/page007.html
日本基督教団 茅ヶ崎恵泉教会
罪なきお方が、私たちの罪を贖うために、罪そのものとなられたのです。
http://keisenchurch.org/archive/20151220
吉祥寺キリスト集会
イエス様は私たちの代わりに罪そのものとなられた。
十字架に架かられたのは、
私たちの罪そのものとなったイエス様である。
http://www.geocities.jp/hecaress/He/Messages/SbHachioji2.html
黒崎幸吉著 註解新約聖書
キリストが全人類の罪を自己のものとなし、
罪そのものとなりて神より詛われ給うより外に全く道がなかった。
http://stonepillow.dee.cc/kurosaki_frame.cgi?48+3+2-2
日本キリスト改革派教会 浜松教会
罪そのものとなられた主は、
罪に対して下される正当な神の怒りと裁きの真実の重さを
受け止めておられる。
https://www.hamamatsuchurch.com/2016/04/03/2016年4月3日礼拝説教-起きて祈りなさい/?mobile=1
亀有教会 鈴木靖尋牧師
パウロは「人類の罪を背負ったのではなく、罪そのものとなった」
と言っているのです。
http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/40897/40287/118758970 古プリンストン神学 (ウェストミンスター神学校)
学祖 チャールズ・ホッジ牧師
キリストが用いられたこの類比において重要なのは以下の点である。
1あの青銅の蛇は、さおの上につけられて、
民の目の前に上げられた。
それと同様に、キリストも十字架につけられて、
すべての人々の前に上げられなくてはならなかった。
「上げられる」ということを、
ある人々が解釈するように、
キリストが復活後、天の栄光の座に上げられたこと、
すなわちキリストの高挙と解すべきではない。
(彼らは単にキリストの犠牲の死という考えを
排除したいがためにそうするのある)。
その理由は以下の通りである。
(a)「上げられる」という云い廻しは、
アラム語においては(そしておそらくギリシャ語においても)、
ほとんど完全に、現代の「絞首刑にされる」
または「十字架にかけられる」という表現と
同じ意味を示すものであった。
ユダヤ人の間では、犯罪者は木にかけられた。
たとえ生きたまま木にかけられなかったとしても、
刑殺後は必ず木にかけられたのである。
(b)この類比そのものが、そうした解釈を禁じている。
あの蛇は、栄誉を与えられるという意味で高く掲げられたのではなかった。
(c)キリストはこの言葉を他の箇所で同じ意味に使っておられる。
「わたしが地上から上げられるなら」、
これは、ご自分がどのような死に方で死ぬかを示して言われたのである[ヨハ12:32]。
http://grape.g.dgdg.jp/Hodge96.htm あら、ギャルが暴れとるんかな
昔にまちこさんを完全論破したレスを再掲するわw
---
まちこさんの蛇説はコリントの「罪とされた」という一点からのみ演繹されている
このトンデモ主張は「罪とされた」の解釈のみに左右される
であるならば、以下について考慮すれば全ては証明できる
1.そもそもキリストは罪を犯すことは可能か?
→キリストには何の罪もないし、そもそも罪を犯すことができない
(Tヨハネ3:5、Tペテロ1:18-19、2:22、ヨハネ3:5、8:16、ヘブライ7:26、ヘブル4:15、7:26)
2.キリストは罪「そのもの」になったのか?それとも罪を「背負った」のか?
→キリストは人類の代わりに罪を「背負った」
(イザヤ53:5-6、Tペテロ2:24、Tヨハネ2:2、ヤコブ5:6)
3.十字架上の贖罪は「何の」ためか?
→血の贖いによって神と人類を和解させ愛を示すため
(ヨハネ15:13、ローマ5:8、3:23-24、Tヨハネ1:29、3:16、エペソ1:7、
4.キリストの死は霊の死が原因か?
→肉に死に霊に生きたのだから違う
(Tペテロ3:18)
以上を論理で結ぶとまちこさんのぐうのでようのない聖書を元にした正しい御言葉による反論が出来上がる >>820の続き
まちこさんの十字架敗北説は聖書が語る内容と真逆のことを語っている。
キリストは十字架上でサタンの性質、ようするに罪そのものになった、と主張するが聖書ではそもそも、キリストは罪を犯したことがないし、罪を犯そうと思うことすら出来ないと語られている
(論拠:上記1を参照)
十字架敗北説は「罪になった」を「人類の罪を代わりに背負った」ではなく「罪そのものになった」という間違った解釈をしていることが原因
しかし、上記でキリストは罪を犯していないとはっきり語られており、かつ「罪そのものになった」ではなく、「人類の罪を代わりに背負った」とあることから、その解釈が間違いであることがはっきりと記されている
(論拠:上記2を参照)
そもそも、十字架敗北説をとると、未熟なキリストがサタンに敗北したが、地獄で神に引き上げられた、ということになるが、キリストが世にやってきたのは、「血による贖い」で人類を罪から救済するためである
十字架上での敗北は血による贖いの敗北である
その解釈はキリストの存在自体を無に帰す聖書と真逆の精神を導き出す
(論拠:上記3を参照)
また、まちこさんの論拠として霊が死なないと肉体が死なない、という解釈があるが、これは、聖書ではっきりと否定できる
(論拠:上記4を参照)
以上を踏まえて、まちこさんの「強引な解釈が介在しないとそう読めない」十字架敗北説は聖書に書かれている様々な解釈の介在する余地のない御言葉によって否定されるので、間違いである、とはっきり言える 極論だが
聖書を読む姿勢に大きく二つある
1.霊的に読む
2.知的に読む
この二つをどう配分するかによって立場が分かれる。
さてわかりやすく漫画的に解説すると
1.霊的に読む…書かれてあることが現実に実際に起こったと無条件に信用する
2.知的に読む…それぞれの時代知性に従って批判的に読む
まちこは、霊的に読む100%の立場だ
田川建三は、知的100%の立場と仮定する。
メインラインは50-50のバランス派
福音派聖霊派は70/30から100/0までの敬虔派
キリスト教の聖書学者は30/70から0/100の知性派
というような感じなのである。
しかし私のように聖霊のバプテスマを受けると100/100の読み方が可能になります (天旅 1986年1号)
モーセが杖に掛けて上げたのが青銅の蛇であったように、
十字架の上にかけられたのは人間の罪そのものであったのです。
聖書では、蛇はサタンの象徴です。
罪というサタンの実体が十字架に掛けられ、裁かれ、暴露されているのです。 神は人間が創った概念に過ぎないので存在しません。
聖母と称されるマリアが処女のままナザレのイエスを身ごもることは無
いし、そもそも生物学上あり得ません。
医療技術や設備など無い当時に一度死んだ人間を蘇生させることなど
できないし、ナザレのイエスのように磔刑に処せられて完全に死亡した人間
を蘇生させることは現代の最先端医療をもってしてもあり得ないことです。
もちろんナザレのイエスには魔法は使えないので他人の病気を治したり、
目が見えない人を見えるように治したりすることはできませんし、あり得
ません。
ナザレのイエスは他の人と同じ普通のユダヤ人で人間です。
ナザレのイエスを特別な存在として扱うために創られた数々の言い伝え
は一定の教育を受けた現代社会の人間であれば全てデタラメであることは
容易に判別できます。
マグダラのマリアはナザレのイエスの愛人で、普通の人間と互いに欲情
して体を求めあい本能のままにセックスしたことでしょう。
ただ単にそれだけです。
聖書に書かれていることは全てデタラメで教会が信者からカネやモノを
を集めるのに都合が良いように創られたものに過ぎません。都合の悪いこ
とは全て封印しました。
信者はナザレのイエスの弟子たちによって創られた迷信に惑わされて
カネやモノを教団にむしり盗られているだけに過ぎません。 >>827
あなたは肉だけでものを考えるから、わからないのです。
聖書は霊の事柄について書かれているのです 医療技術や設備など無い当時に一度心肺停止に陥った人間に救命処置を
施すことなどできない。
ましてやナザレのイエスのように磔刑に処せられて死亡し、何日も放置
されている人間を蘇生させることは現代の最先端医療をもってしてもあり
得ないことだ。
聖書は人間が記した荒唐無稽で非科学的な創作に過ぎないので、神の
存在を証明する根拠にはならない。
ようするに聖書はデタラメだであって神などいないということ。 >>829
キリストの無罪性を否定するのがプロテってトンデモ理解はギャルと旧まちこさんのトンデモ妄想の中だけで成立しまつ >>829
性悪説だからなぁ。
慣れると見分けるの早いんだけど。 >>831
無罪ゆえに原罪を負えました
河童仏教はプロテと相入れません >>832
その通り。
特にハイパーカルビニズム。 >>833
それは罪を購った、ということで、キリストの無罪性は認めつつ、その深みを罪そのものとなった、と「表現」しとるだけだろ
おまいが庇ってる旧まちこたんの主張は以下やでw
新まちこたんは旧まちこたんとは違うけどなw
25 名前:神も仏も名無しさん :2016/03/21(月) 15:40:59.30 ID:4NyPyEhX
63 :まちまり ◆wk8gZRzpYO6u :2013/07/20(土) NY:AN:NY.AN ID:65BCAbH5
>>59
十字架は敗北であって、復活が勝利です。
ローマ10:9
復活したから、イエスは私たちの主です。
第一コリント15:17
26 名前:神も仏も名無しさん :2016/03/21(月) 15:41:54.16 ID:4NyPyEhX
747 :まちまり ◆wk8gZRzpYO6u :2013/07/14(日) NY:AN:NY.AN ID:i3xwBqXg
>>744
十字架上のイエス・キリストはもはや子羊ではなく、蛇です。
それを知っててペンダントとしているのですか?
27 名前:まちまり ◆pHcmLeO2rY [sage] :2016/03/21(月) 15:48:56.99 ID:Kw3Yol8p
・十字架キリスト蛇説
☆ イエス・キリストは十字架において裁かれたのです。
裁かれたのは、サタンです。
ヨハネ12:31
今こそ、この世が裁かれる時、今、この世の支配者が追放される。
私は地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう。
イエスは、ご自分がどのような死を遂げるかを示そうとして、こう言われたのです。(ヨハネ12:31) ギャルいはく、「キリストは十字架上で敗北した。十字架上でキリストはサタンになった。十字架上でキリストは子羊ではなく蛇である。」はプロテのスタンダードである、と信じたいのなら信じればいいけど
その場合、「スタンダード」という単語の意味をググるところから始めて欲しいなw >>835
おまえ「罪そのものになった」を批判してたやん
十字架は栄光ではない、とは古プリンストン神学の下り嫁禿 主は
神性を隠され(改革派神学)
霊的な死を体験し(東方正教会神学)
蛇のように晒され(古プリンストン神学)
我々の罪を贖われた。
また、罪そのものになられた(メインラインプロテスタント牧師、黒崎幸吉先生)
あるいは サタンの実体になられた(市川喜一先生)。
禿達は悔い改めましょう。 マチコ先生とプロテスタント神学は相即不離なのです
河童仏教は諦めましょう >>839
www
プロテはキリストはサタンになった、という教えがスタンダードなんだなw
ギャルの発想は宇宙(コスモ)だなw >>837
まちのたんの「罪そのものになった」は>>835の文脈で語られてたわけ
(他にもエリエリで罪を犯して裁かれた、などの主張もあるでw)
おまいは文脈しらずに「単語」だけで訳のわからないことをのたまってるだけ 市川喜一先生はキリストはサタンの実体となられた、と仰いましたが
神対応で補説してくださいました
キリストは三日後に神となられましたが
人にへりくだられた時も
クリスチャンにとっては主であるということ。 >>840
整理しよか
罪そのものになった、は
メインライン牧師たちや聖書学の権威ソースなんだが
これは否定するの? つーか、ギャルはまちこたんに見捨てられて十字架敗北説の唯一の伝承者な感じになってワロタw
新まちこたんはキリストの無罪性について先日語ってたか
ギャルは唯一のまちこ神拳の伝承者だから旅に出るのは諦めたほうがいいなw >>843
単語じゃなくて、その単語が「意味してること」を大切にしませう
じゃないと一歩も前に進めませんで >>841
十字架にあげられたのは栄光ではない、つーのも
罪そのものになられた、つーのも
同義やし
なんでマチコとその他牧師の発言が
いちいち異なんねんボケ >>847
死ぬほど何回も言ってるけど、ギャルが「コンテキスト」という単語の「意味」を理解できない性質の持ち主だからw
ネクザたんの前には「コンテキスト」という越えることが出来ない巨大な壁が立ちはだかってるんだなw >>845
古プリンストン神学においては
復活前の十字架は高挙、栄光ではない。
と何遍もいわすな禿。 >>848
マチコと市川喜一先生やプリンストン神学、正教会神学の
どこがどう違うのか
明文化しろよ禿 ちなみにカルト以外のクリスチャンなら>>821に完全同意すると思うで
もちろん「その上で」教派による様々な点の「強調」が「表現」という形式で「理由を伴って」なされることはあるだろうけどね
ネクザたんはまずベースがないから>>821に同意する足場がない
またクリスチャンじゃないしウィキペディアン無神論者だから「難しい理由や意図が分からない」
から
「表現、単語」だけに捉われざるを得ず
結果的に
「●●さんがあの単語を使ってた」以上のことが語れない
これが旧まちこ神拳の唯一の伝承者、ギャルの全てだ・・・!! どっかの痴呆BBAがペンテコやオーラルロバーツを異端認定してたけど
こいつの心酔してる万代栄嗣牧師はORU卒かつ国内聖霊派の大重鎮な
松山福音センター 万代栄嗣牧師
神はモーセに燃える蛇を作って、
人々にそれを見上げさせよと言いました。
それを見上げた時、不思議なことに神の力が働いて、
民は癒されたのです。
ヨハネに書かれているように、
イエスが十字架に架かったのはただの処刑ではなく、
旧約の物語で救いのしるしとして
燃える蛇の像を見上げた以上に、
木に架けられたキリストを見上げる者は癒されるのです。
http://www.mission.or.jp/weekly/2013/主を見上げることで癒される.html >>851
せやったら河童仏教的には
メインライン牧師たちやチャールズホッジ、黒崎幸吉先生も異端なん? >>853
デジャブ
書かれてることをまず読んで意味を理解してからレスをするんだ、ギャル
それがコンテキストの壁を越える訓練なんだ・・・!! 市川喜一の「サタンの実体」は正統だけど
まちこの「サタンの性質」は異端
市川喜一の十字架蛇説は正統だけど
まちこのそれは異端
ディオクレア府主教の「霊的死」は正統だけど
まちこのそれは異端
これがハゲ達のクオリティ メインライン牧師たちによる「罪そのものになった」は正統
マチコによるそれは異端
これが河童クオリティです >>855
どういう意味合いで「サタンの実体」という単語が使われているのか理解してる?
それを理解するまで、その単語をどういう意味合いで解釈すればいいのか分からない、ということでしかない、という客観的事実について理解できる? aという単語は「AaB」という文章の中に存在するか
「Ca D」という文章の中に存在するか、で全然意味が変わることを理解している?
罪人のかしらである、という文章だけを読むと、犯罪者のボスってことな、と短絡的に理解する壊れたレコードたんと同じ問題なんだけどねw ネクザたんにサタンの実体のコンテキストを理解するためのプロセスを授けるね
1.その単語が使われている章全体を読んで理解する
2.なぜその表現になったのだろうか自問自答する
3.答えが見つからなければもう一度章全体を読んでみる
4.それでも分からなければその章の前の章を読んでみる
5.答えが見つかるまで2.に戻る >>857
整理しよか
おめー的には市川先生の教説を正統視できんの? 正統な解釈は>>821
そしてカト、プロテ、正教会は全て>>821がベースにある
俺はそれだけ知ってればいい
特定個人がどんな強調の表現を使っていようが>>821がベースであることは変わらない
そして>>821に反することをまちこたんは言っていて、色々と話した後に、キリストの無罪性を認める解釈に変わった
それが全てだw >>861
>プロテも正教会も821ベースにある
つーことは
メイライン牧師たちの「罪そのものになった」は821ベースだけど
まちこの「サタンの性質」は異端
ディオクレア府主教の「霊的死」は821ベースだけど
まちこのそれは異端
てこと? >>862
うん、そう思ってる
それぞれの強調表現は「何らかのカウンター(プロテスト)」なわけ
その強調表現は何に対して何を意図してなぜ生まれたか、そういったことが分からない限り、ちゃんとした理解なんて出来んわけだ
こんなことは大学行ってたら誰でも知ってること おもしれーなこのナマモノ
その理由を理路整然と解説してみ その前におまいが扱ってるモノを知るのが先だろw
>>821読んで理由を教えろとか大丈夫かと思うw
かっこ付きでちゃんと論拠と書いとるだろwww 四の五の禿げてねーで
マチコとプロテ神学の相違点を理路整然と解説しろよ禿 >>866
既に説明してるのに説明しろとかいつも通りいう椰子にかける言葉はないなー
ははぁ〜ん、おまいは自分がアフォなのに悪いのは外界であり他者だ!とすぐなるタイプだな?w おーい禿
プロテは「神性を隠した」、「人にへりくだられた」としてんだよ
だから
「罪そのものになった」
「霊的な死を体験した」、と語られる訳だが
なんでマチコだけ異端扱いなの? >>827が、イエスで狂わされてはいない広大な現代社会の一致した考え。
一旦イエスで狂わされた者は、イエスについていかなる客観的な判断も
不可能になる。無数の殉教者を見よ。クリスチャンの意見など、初めから
ナンセンス。
言葉ではなく、歴史の「事実」により判断せよ。イエスはまさに「罪そのもの」
ではないか。 おーい禿
821論破したったぞ
>キリストは罪を犯したことがないし、罪を犯そうと思うことすら出来ない
ゆえに原罪を負えたんや
>「罪そのものになった」という間違った解釈
せやったら818は全員異端やんけ
>未熟なキリスト
人にへりくだったんやボケ
>「血による贖い」
正教会神学と改革派神学はちゃうわボケ
>霊が死なないと肉体が死なない
神から離れなければ肉体の死もあれへんぞ この禿の罪状
・河童仏教風情がマチコ憎しでカトリック神学を盗用
・プロテ、正教会神学からマチコを分断しようと必死 >>871
はー、それが論破なんだw
ギャルは大分大雑把でテキトーな思考回路しとるんだなw
やっぱ●●さんが◾︎◾︎という単語を使ってる」以上の知性はないのか・・・www 寝る前に横からだけど
>>866
おそらく正統とされているプロテ神学では
その基本にキリストは完全なる神にして完全なる人というキリスト論が確固としてあって
それは十字架上であっても変わらない、ということだと思います
それに対し、まちこさんはここが曖昧で、俺が今までやりとりしたなかでは
少なくとも十字架上では神ではない、復活において神になった、という解釈である可能性が高い
これは十字架上で神性が「隠されていた」のではなく、神性そのものが存在しないという解釈です
この「十字架上での神性の欠落」が十字架上でのイエスは蛇(サタン)であるという表現で表され
これは青銅の蛇とは異なります
ただし後に青銅の蛇も援用しているらしいので、この辺はまちこさんが変わったのか
あるいは単に神学的な明晰性を欠いているのかはわかりません
俺が抱いたまちこ神学に対するおおよその印象はこんな感じです 十字架贖罪説は、パウロがパウロ教を設立するためにイエスの十字架を「利用した」
ものに過ぎない。贖罪など、誰一人としてイエスに頼んではおらず、イエスは己の
大罪で勝手に処刑されただけ。贖罪など、生前のイエスの念頭にもなかった。
「贖う」の原義は、「身代金を支払って奴隷を買い戻すこと」。しいて言えば、イエスは、
奴隷を買い戻して、「己の奴隷」としたのである。 >>872
いやいや、だから旧まちこ神拳の伝承者はギャルしかいないんだってw
新まちこたんはキリストの無罪性を既に認めてるって>>810に書いてるだろ?w
ギャルは唯一の伝承者なんだよw >>873
いや、異論あんなら呈してみ
例えば「血による贖い」はカトリックとンゴだけや禿 「閉鎖社会の(キリスト教には)、「真理」はあり得ない」(ヴィトゲンシュタイン)。 >>877
論拠は提示既にしてて、その論拠への反論に一切なってなくてウィキペディアン無神論者の論拠なきオレオレ妄想に論拠提示してる俺が何を語ればいいのさ・・・!!w >>676
>キリストの無罪性WWWWWWWWWWWWWW >>878
ウィトゲンシュタインは異常に敬虔なクリスチャンやで
ということで旅立ちを宣言したけど後ろ髪を引かれて、あなたが忘れられなくて、ネカマの薫りを失うのが怖くて、旅立てない・・・なギャルが帰ってまいりましたw
皆の衆、ギャルの帰還を喜びませうw ≫874
ご意見ありがとうございます。
憚りながらレス申し上げますと
>十字架上では神ではない、復活において神になった、という解釈である可能性が高い
に関しましては拙が819で先述申し上げた通りかと存じます
但しルター派は十字架上で神になります
また、神性を隠した、とは神性は伏在するという論拠に他ならなず
人性の極致として罪そのものになったり、或いはサタンの実体になろうとも
神に帰ることができる論拠でもあるかと思われます
市川喜一先生のお言葉を借りると
クリスチャンにとって重要なことは
キリストは罪そのものになられた時も神になった時も主であるということかもしれません >>879
「正教会入門」と「キリスト教綱要」に
「(十字架は)血の贖いに留まらない」と注解されてんぞ禿 >>882
>クリスチャンにとって重要なことは
>キリストは罪そのものになられた時も神になった時も主であるということかもしれません
横レスだけど、この部分の意味合いをギャルが理解できればそれで終わりな話だ
自分が扱っとるものを理解してないのに、その理解できない扱っとるもので対話するから訳がわからない話になる >>883
おまい、本当に学習しない椰子だなw
コンテキストの壁を越える日は相当先になりそうだなw >>881
>ウィトゲンシュタインは異常に敬虔なクリスチャンやで
彼の論理からすれば、盲信はあり得ない。さもなければ、彼の論理は崩壊する。
彼が死の寸前まで必死に考えたことは、「この手がここにあり、もう一方の手が
あちらにある」という、「最も当たり前のこと」だった。 俺もそろそろ寝る準備するわ
どうせロムるなら前みたいに書き込めばいいよw
美魔男以外のみなたま、おやすみなさいませ >>884
そこや。
マチコが「十字架のキリストは、主ではない」という語録を残していれば
そこで初めてプロテ神学や正教会神学と峻別して異端認定できんねや
ほな 頑張って過去ログ盗掘してこい >>889
キリストが罪を犯して罰せられた、ってレス上で引用しとるだろ
その時点で三位一体の神の概念と基本信条に反してるわけ
こんなの語るまでもない話だよ
ギャルは基礎がないのに部分で話に割って入るから意味不明なことになるのな
まぁギャルだから許すけど
俺は寝るで、おやすみなさい 市川喜一先生によって最も感銘されたこと。
それは 神≡主 ではないとうこと。
どういうことかというと
イエスキリストは人性(罪)においても主ということです。 >>890
罪を負わないで
なんで父から罰せられんねんボケ >>891
はぁ
カルゲドン信条↓
同じかたが神性において父と同一本質のものであるとともに、人間性においてわれわれと同一本質のものである。「罪のほかはすべてにおいてわれわれと同じである」
優しい俺の強調
「罪のほかは(…)われわらと同じである」 人類史上、キリスト教による数十億人の人間の理由のない殺戮以上の罪はない。
その殺戮は、すべて聖書のイエスの言葉から生じている。
殺人鬼は、いかなる主にも成りえない。 >>893
われわれ罪人のかしらとして
一身に原罪を負った
バカの一つ覚えのカルケドン信条で神学を悟れりゃ苦労せんわ 無罪ゆえに原罪を負えた
ゆえに罪人の代表にへりくだれた
こんぐれーのプロテ常識 皿に突っ込んどけ >>895
キリストの無罪性は聖書に根拠がある
だからプロテはカルゲドン信条を受け入れている
罪を犯したアダムの原罪と罪を犯さなかった第二のアダムの無罪性はとてつもなく重要なわけ
そして第二のアダムだからこそ、アダムの原罪の贖罪が可能になる、がクリスチャンだったら誰でも空気として吸ってるリアリティだ
これは意識化して言語化するまでもないこと
ギャルにはこれが欠如してるんだよ
でもギャルの旧まちこ神拳の伝承は繁栄教の問題を如実に表現してるから反面教師的な意味はあるとは思うで
本家のまちこが旧まちこ神拳から去ったとしてもねw >>882
俺が不勉強で理解していないためなのか、あるいはネクザさんが言う「神になる」という表現を
誤解しているためなのか、俺にはキリスト教ではキリストが「神になる」という表現はおおよそ
あり得ないことのように思えます
キリスト教では神性は永遠・不変であって、神でなかったものが神になることはあり得ないと
思えるのです
受肉においてはロゴスが人性を纏い、「目に見える神」となりますが
これは人間イエスが神になったわけではありません
また十字架上ではその人性において父との乖離を味わうほどまでに
贖罪に従順であった、とは言えても、神性を失ったとは言えないと思うのです
神性を失うとは、ロゴスとしての神が存在しなくなるということで、これはキリスト教においては
あり得ないことだからです
神性を失うことがなければ復活において神に「なった」ということもあり得ず
必然的に、神性の喪失→神性の復帰、すなわち「神になる」ということもあり得ないことのように思われます >>896
旧まちこたんは無罪じゃなくて「「キリストが」罪を犯した」って言いまくってるのに、まだそんなこと言うかなw
今日の対話を無駄にしないでおくれw >>897
無罪ゆえに原罪を負える
しかしてプロテスンタント神学においては
「罪人の代表」「罪そのもの」にへりくだる
プロテの基本よう覚えとけボケナス >>898
神になった、とは神を証した、という事だと思います。 >>900
コンテキストの壁が立ちはだかってるようじゃなw
優しいエイシストさんのレスを噛んで嫁w ギャルは短期のバイトでコールセンターの仕事をしてみたらいいよ
怒ってる人は困ってる人、なのがよく分かるで 河童が茶々いれてますが
神を証する、とは
今まで人にへりくだられていた、ということです
神であろうと人であろうと
イエスキリストは主であることがキリスト教です >>902
マチコが「十字架上のキリストは主ではない」という過去ログ発掘しない限り
おまえの土下座フラグ解除されへんぞ >>904
受肉した時点で既に謙っている
洗足から贖罪でピークを迎える
そんなのは当たり前の話なの
復活も神の愛の証だけど、受肉の時点で神の愛の証でもある
そんなのも当たり前の話なの
原罪なく、自罪もない第二のアダムが罪を犯したから旧まちこさんは十字架は「敗北である」と語った
ギャルがそれをプロテのスタンダードだと思うのなら勝手に思えばいいけど、それは客観的に違う、と言うだけの話 >>901
「神を証した」というのは我々にキリストが神であることを証したということであって
キリスト論の本質(神人としてのキリスト)とはまた別であるように思えます
ネクザさん復帰で興奮して夜更かししてしまいましたw
さすがにそろそろ寝ます
続きはまた明日以降にでも
ではみなさま、おやすみなさい >>906
受肉、降誕で謙卑が完了するとか
バカなの? >>905
ギャルの妄想の中ではな
おまいはもっと自己を虚しくすることに集中できるスキルを開発しる
コールセンターの仕事は比較的、開発できるはず
一番いいのは文化人類学のビジネスへの応用のデザインリサーチだけど、入り口がないから無理だろうからコールセンターが一番手っ取り早い >>908
どこに「完了する」って書いてあるの?
ギャルと話してたら妄想エンドレスだから
俺も寝るわ
今日行ったこと、実行しろよな
今度こそおやすみなさいませ 要するに、聖書のすべての記事は、知識と知恵が現代の幼稚園児にさえ遠く
及ばなかった「当時の人々」に対して書かれたものである。当時でさえも、
イエスを直接によく知るその家族、郷里の人々、仲間のユダヤ教徒は、
イエスを気違い、悪霊憑きと判断して信じなかった。
現代人が大真面目に信じるべきものではない。 >>906
>受肉の時点で神の愛の証
キリストの受難はプロレスちゃうがな
トマスのアホンダラは「受難も喜び」とか抜かしとるが
>十字架は敗北
霊的な死を体験し、罪そのものになられた。
而してチャールズホッジをして
「十字架は栄光ではない」と言明してんだろボケ もとい
「"復活前の"十字架は、栄光ではない」ということ 「私が正しいと思ってること」
と
「その私が正しいと思ってること、が相手の言ってることへの適切な応答になってるか」
は
別の問題やで
今は分からないだろうけどさ >>907
本質論に於いては、エイシストさんの仰せの通りです。
おやすみなさいませ。
ワイも東方教会への帰途に就きます。
ご多忙中、お付き合い頂き恐悦でした。 >>907
「無神論者」の君が、そんなに興奮することはないと思うがwww. 私たちが、十字架のイエス様を見上げる時、
どのような気持ちになりますか。
悪いやっちゃな、とはたして思うでしょうか。
「ごめんなさい」「すみません」とか思うでしょう。
個人的に罪を犯した、という感覚がない者でも、
この世における罪の集約を十字架のイエスを見上げた時に
感じますよね。
そこなんですよ、すべては。 イエス様側に罪があるとかないとか
をあれこれズレて論争しているけれど、
此の世に生きる我々側に「ごめんなさい」「すみません」と
罪の自覚を促し、跪くような霊性の扉が開かれるところに
十字架のイエス様のすべてがあるのです。
では、どうすればよいかも残して下さっています。
神と隣人を愛せよです。わたしイエスを最後にしてください。
此の世の罪による惨劇
を繰り返さない為に、
わたしを繰り返し思い出してください。
十字架上のイエスを見てください。 >>791
彼、サティのような思い込みの激しい人の言う事に対しては、
河童サティの頭の皿の中での出来事と、実際の出来事の間に、明確に線引して
区分けして考えないと分けがわからなくなります。
「今更なんだけどサチエさんてクリスチャン?」
■河童サティの皿の中では、
俺はキリストを信じるクリスチャン
■実際は、
シュタイナーの輪廻転生を信じるカルト
「エラそうにするのか分かりません。」
■河童サティの皿の中では、
俺はシュタイナーの秘教を知っているのでエラい
■実際は、
ただの妄想カルト乙
「まともな牧師に話を聞け、なんて^^;)」
■河童サティの皿の中では、
俺はボランティアでアドバイスしてやっている
■実際は、
大きなお世話、さらに大きな迷惑 「言って事は部分的にキリスト教みたいだけど。」
シュタイナー教では、ゴルゴタの秘蹟で、キリスト・イエスの傷口から流れ出る血が
地上に堕ちた瞬間、地球にとって決定的なことが起こった
と訳ワカメなことをいいます。
「彼からは余りキリストの愛が感じられないし」
彼、河童サティにしつこく粘着された人は皆そう感じているので、
シャロンさんが
「彼からは余りキリストの愛が感じられない」
と感じるのは当然です。 >>917
<幼子の代弁者であるイエス様>
古代でも現代でも処女性は穢れがないと
共通感覚があります。
ですから、処女を神に捧げる風習を持ってい痕跡が世界各地にあります。
日本でも、スサノヲが毎年娘を差し出さなければならない
風習に対して、反旗をたて、日本で最も古い和歌を詠みあげます。
<八雲立つ 出雲八重垣 妻籠めに 八重垣作る その八重垣を>
イエス様が詠んでもおかしくないような、
暴力的な何かの前で、弁明の言葉を持たない幼子、娘を護る霊性です。 >>920
産まれてまもなくの穢れない生き物を神に捧げるというのは、
ひとつは、この世に長らえば、幼子のままなんて事は難しい。
ここはひとつお代官様、多めに見ておくなせい。
我々も好きでこうなったわけじゃねい。
これが我々のほんとうの姿だった、幼子(処女性)を見ておくんなせい。
と罪や穢れを嫌う、神の気持ちを宥めようと必死で
穢れない生き物を差し出し続けるのです。
イエス登場。
幼子や娘(処女性)は、ただ犠牲になっており
「たすけてー」の言葉も封じられてきた、なんと愛のないことよのう。
わたしが、叫んでもあげよう。
わたしイエスは霊性知性の愛の総合力が抜きんてでいる。
あらがえない彼ら(幼子、処女)の代弁者となると同時に
彼らの替わりに、捧げものになるから、これを区切りとして
みな新生するのだよ。
無知と抑圧からくる犯罪性から解放されるべく、
わたしと手をたずさえてつなぎ、道をいこうではないか。
さて、これを踏まえて話を戻し考えてみましょう。 オレ様に完敗して悔しいのに
このバイセクシャルのホモ豚はリペンジ出来ない 誰か次スレお願いします。
ホストではねられた( ;∀;) キリストの十字架とは何か
それはただ残酷な刑罰を意味しない
キリストの十字架とはまことの過越しであり贖罪である
十字架を見上げるということはこの方のほかに救いはないと認めることだ
センチメンタルな戯言はやめていただきたい 「罪」を植え付けて脅迫し、「救い」という甘言で入信させる。これがキリスト教の
営業手段。
神の生命の息吹(聖霊)を有するすべての人間には、罪などない。神は「罪の創造主」
ではない。アダムの原罪は獲得形質。獲得形質は遺伝しない。
キリスト教は、そのままで犯罪である。 イエスの十字架処刑は、宮清めと神の冒涜罪という己の大罪の結果。
犯罪者イエスの汚れた血で、他者の罪を贖うことが、できる訳がない。
かえって、罪の血が、己に払拭し難く染みつくだけ。
旧約を聖書の一部とするイエスもクリスチャンも、未だにユダヤ教徒。
十戒の掟の下にある。
神の冒涜者イエスを、こともあろうに神として崇めるクリスチャンには、
死後における「孫子の代までの裁き」が待ち受けている。 新約聖書は、イエスを神にするというイエス自身の野望のための「嘘」にまみれている。
新約聖書による虚偽の証言は、十戒の罪の一つであり。死刑に相当する。
さらにイエスは、十戒の最重要な掟てある「殺す勿れ」を。明示的に否定した。
赦されざる罪である。 人類界に最も巨大な罪を生み出したのは、イエスの「肉体(生命・聖霊)を忘れ精神性」
という狂気である。この狂気は、イスラム教、共産主義、ナチスという、更なる巨悪を
生み出した。イエスは、人類界における「最大の罪」の元凶である。 自演において、このバイセクシャルのホモ豚は
自爆したのを忘れている 聖書ツマンネ…(イエス)
聖書!聖書!イエスの血!イエスの血!剣!剣!パンキッシュ!パンキッシュ!(信者) 補足:娘、処女は、古くの時代は生理が来る前です。
数え13歳ぐらい、生理の始まりと処女喪失(どこかの誰かの遺伝子を
増やす作業に従事しなければならない)
は、ほど同時であったからです。
マリアの受胎は13歳から15歳とされていますが、
生理があって、肉体形成をする能力は準備できた年頃ではあるけれど、
処女を失っていないとするのは、
無原罪を説明、象徴するシンボルでもあるのです。
ネクザよ、簡単な話だ。
まちこさんは霊性100%知性ゼロ%で、神学者は敬虔でも霊性70%知性30%なのだ。
まちこさんは、まずカトの十字架のペンダントにイエス像があることについて
「十字架に架けられたイエスは蛇=サタンだよ。サタンを拝んで馬鹿じゃないの」と
言ったのだ。
つまり霊性100知性0だと、十字架のイエスはサタンなのだ。
だから、バッチイというのがまちこさん。
ところが幾分かは知性がある神学者は、十字架のイエスがバッチイとは言わない
バッチイ罪は、私の罪だからである。
私の罪を身代わりに浄化してくださっているのだ。涙を流して感謝をするほどの
ことなのだ。神学者はすべての者がこの構造を理解している
しかしまちこ知性ゼロなので、十字架のイエスはバッチイと切り捨てる。
そういうことだ おはよ
昨日は、八坂神社にお参りしました
市川って神社たくさんあるのね
地元なのに知らなかった >>937
川沿いは昔の別荘地だからね。
3日も有れば十分廻れるよ。 十字架のキリストは蛇
蛇はサタン
だから十字架のキリストはサタン
だから、カトリックは悪魔崇拝
これがプロテスタントの一般的知性です >>935
>霊性100 知性0
人の最初の住所たりしエデンの園の中心に
二箇の樹が植えられた。
其の孰〔いず〕れを食ふ乎に由つて
祝福と呪詛(のろい)とが定められた。
生命か行為か、信仰か知識か、アブラハムかソクラテスか、
ユダヤかギリシヤか、道は唯〔ただ〕二途あるのみであつた。
此世はその創始より試練の世であつた。
創世記第二章は人生を其初発(はじめ)の時期に於て画いて誤らなかつた。
(内村鑑三著 創世記の研究1930(昭和5)年1 月) 暇人は間違ってます
まちこは霊性0パーセント
知性0パーセントです / ̄ ̄\ .___
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|/VV.| .| VV\|"'; まず、十字架のキリストの型である、「蛇」はsnakeではなくserpentです
原語はseraphです
モーセに逆らうイスラエル人を罰するためにyhvh(ヤーウェあるいはエホバ)が
差し向けたお使いです。
サタンではありません
ここからして誤解しています スレの冒頭に、「初心者はまちこ・ぷりなら、あぼん推奨」を入れた方が良いと思う。 そのセラフ(セラフィム)をかたどったのが「青銅の蛇」ですから
十字架のキリストの型とされた蛇はセラフィムであり、悪魔ではありません
わかった? プロテスタントでは
罪そのものにへりくだられた、とされます。
罪そのもの とはカトリック神学でも周知の通り
サタンのことです。 ここはプロテスタント、しかも改革派信者のスレです。 次に、型は実体を予告するものですが
型は実体ではありません
もしも型が実体だとしたら
死と復活のイエスキリストの型はヨナですから
イエスはヨナってことになってしまいます
わかった? >>918
そうだよなー、ギャルは妄想を実際の出来事と信じるところあるよなー さて、初めの契約にも、礼拝についてのさまざまな規定と、地上の聖所とがありました。
すなわち、 まず幕屋が設けられ、その前の場所には燭台と机と供えのパンとが置かれていました。
これが、聖所と呼ばれたのです。
また第二の幕の後に、別の場所があり、それは至聖所と呼ばれました。
そこには金の香壇と全面金でおおわれた契約の箱とが置かれ、
その中にはマナのはいっている金のつぼと、
芽を出したアロンのつえと、契約の石板とが入れてあり、
箱の上には栄光に輝くケルビムがあって、
贖罪所をおおっていました。
これらのことについては、今ここで、いちいち述べることができません。
これらのものが、以上のように整えられた上で、祭司たちは常に幕屋の
前の場所にはいって礼拝をするのですが、
幕屋の奥には大祭司が年に一度だけはいるのであり、
しかも自分自身と民とのあやまちのためにささげる
血をたずさえないで行くことはないのです。
それによって聖霊は、前方の幕屋が存在している限り、
聖所にはいる道はまだ開かれていないことを、明らかに示しています。
この幕屋というのは今の時代に対する比喩です。
すなわち、供え物やいけにえはささげられますが、儀式にたずさわる者の
良心を全うすることはできません。
それらは、ただ食物と飲み物と種々の洗いごとに関する行事であって、
改革の時まで課せられている肉の規定にすぎないのです。 しかしキリストがすでに現れた祝福の大祭司としてこられたとき、
手で造られず、この世界に属さない、さらに大きく、完全な幕屋をとおり、
かつ、やぎと子牛との血によらず、ご自身の血によって、
一度だけ聖所にはいられ、それによって永遠のあがないを全うされたのです。
もし、やぎや雄牛の血や雌牛の灰が、汚れた人たちの上にまきかけられて、
肉体をきよめ聖別するとすれば、永遠の聖霊によって、
ご自身を傷なき者として神にささげられたキリストの血は、なおさら、
わたしたちの良心をきよめて死んだわざを取り除き、
生ける神に仕える者としないでしょうか。
それだから、キリストは新しい契約の仲保者なのです。
それは、彼が初めの契約のもとで犯した罪過を
あがなうために死なれた結果、召された者たちが、
約束された永遠の国を受け継ぐためにほかなりません。
いったい、遺言には、遺言者の死の証明が必要です。
遺言は死によってのみその効力を生じ、
遺言者が生きている間は、効力がありません。
だから、初めの契約も、血を流すことなしに成立したのではないのです。
すなわち、モーセが、律法に従ってすべての戒めを民全体に宣言したとき、
水と赤色の羊毛とヒソプとの外に、
子牛とやぎとの血を取って、契約書と民全体とにふりかけ、
そして、
「これは、神があなたがたに対して立てられた契約の血である」と言いました。
彼はまた、幕屋と儀式用の器具いっさいにも、同様に血をふりかけたのです。
こうして、ほとんどすべての物が、律法に従い、血によって清められたのです。
血を流すことなしには、罪のゆるしはあり得ないからです。 このように、天にあるもののひな型は、これらのもので清められる必要がありますが、
天にあるものは、 これらより更にすぐれたいけにえで、清められねばならないのです。
ところが、キリストは、 ほんとうのものの模型にすぎない、手で造った聖所にはいらないで、
上なる天にはいり、今やわたしたちのために神のみまえに出て下さいました。
大祭司は、年ごとに、自分以外のものの血をたずさえて聖所にはいるのですが、
キリストは、そのように、たびたびご自身をささげられるのではなかったのです。
もしそうだとすれば、世の初めから、たびたび苦難を受けねばならなかったでしょう。
しかし事実、ご自身をいけにえとしてささげて罪を取り除くために、世の終りに、
一度だけ現れてくださいました。 語られてたわw
市川先生の仰ることだから
市川のハゲよりただしかろ このように、天にあるもののひな型は、これらのもので清められる必要がありますが、
天にあるものは、 これらより更にすぐれたいけにえで、清められねばならないのです。
ところが、キリストは、 ほんとうのものの模型にすぎない、手で造った聖所にはいらないで、
上なる天にはいり、今やわたしたちのために神のみまえに出て下さいました。
大祭司は、年ごとに、自分以外のものの血をたずさえて聖所にはいるのですが、
キリストは、そのように、たびたびご自身をささげられるのではなかったのです。
もしそうだとすれば、世の初めから、たびたび苦難を受けねばならなかったでしょう。
しかし事実、ご自身をいけにえとしてささげて罪を取り除くために、世の終りに、
一度だけ現れてくださいました。 このように、天にあるもののひな型は、これらのもので清められる必要がありますが、
天にあるものは、 これらより更にすぐれたいけにえで、清められねばならないのです。
ところが、キリストは、 ほんとうのものの模型にすぎない、手で造った聖所にはいらないで、
上なる天にはいり、今やわたしたちのために神のみまえに出て下さいました。
大祭司は、年ごとに、自分以外のものの血をたずさえて聖所にはいるのですが、
キリストは、そのように、たびたびご自身をささげられるのではなかったのです。
もしそうだとすれば、世の初めから、たびたび苦難を受けねばならなかったでしょう。
しかし事実、ご自身をいけにえとしてささげて罪を取り除くために、世の終りに、
一度だけ現れてくださいました。 949
70人訳では
ハマルティアは罪だけではなく、
ヘブライ語の罪祭に使われているギリシャ語です
パウロが述べたその個所は
罪そのものではなく、罪祭そのものと訳さなければ
意味が通りません 「愚かで無知な論議をやめなさい。それは、あなたが知っているとおり、
ただ争いに終るだけです。
ヤハウェの僕たる者は争ってはならない。
だれに対しても親切であって、よく教え、
よく忍び、 反対する者を柔和な心で
教え導くべきです。
おそらく神は、彼らに悔改めの心を与えて、
真理を知らせ、 一度は悪魔に捕えられて
その欲するままになっていても、目ざめて
彼のわなからのがれさせて下さるでしょう。」
テモテ第二の手紙 神というのは人間が創った概念に過ぎない。
神はいない。 >>948
>>951
そう、うんうんそこよ、愛の天使さん。
言葉と言うのは、単語でなく、文脈において初めてわかるの。
昨夜、サティさんが言っていたコンテクストは、その事なのね。 ギャルは検索のフィルターバブルで単語を探す
↓
●●さんが語ってる、と権威づけする
だけど、決して●●さんが「どのような意味合いでそれを語ってる」を理解してるわけではないんだな
そこに問題があるんだよなー
まぁブランド信仰の相当抑圧された環境で育った人の行動特性だと思われる ネクザが検索してもいいんだが、
「イエス像がついた十字架のペンダントはサタン崇拝だから
身に着けるのをやめなさい」
という神学者は皆無だ。 それで、まちこになんでそんな風に考えるのを問い質したところ
「十字架=罪そのもの=蛇=サタンになっている」
という解釈が出てきた。
問題は、「十字架=罪そのもの=蛇=サタンになっている」というのは
肉の考え方だということだ。
十字架はそもそもは、「市中引き回しの上、打ち首獄門」と同じく「さらし首」
という大罪人に対する呪いの罰だったのだ。とても忌まわしいものだ。
ここにイエスの神の国到来運動が敗北した。
しかし、ここで終わらなかった。イエスの十字架は肉的には敗北だが
霊的には勝利だと言う宣言が霊的になされた。
十字架で、裁かれた罪は、イエスの罪ではなくて、全人類の罪だった
我々の為に身代りになられた。十字架によって我々が購いだされて
赦されたのだという感謝へと逆転したのだ。十字架は敗北どころか
勝利宣言となった。 プロテスタントは確かにまちこさんの主張どおり
イエス像のついた十字架を作らない。
しかしこれは十字架上のイエスがサタンへと実体変化した為ではない。
偶像崇拝禁止令に従って、イエス像を作らないだけなのだ。
まちこは、十字架につけられた時点でイエスは、罪そのもの、サタンへと
実体変化したと考え、「サタンだエンガチョ」とするのだが、プロテスタントは
イエスは無罪であるが、人類の罪そのものを十字架につけて清めるために
罪そのものの身分を我が身に引き受けて下さったと考えて、イエスに感謝するのだ。
「罪そのもの」と言っても、感謝する神学者とエンガチョのまちこでは
180度真逆なのである。なぜネクザには理解できないのか。 / ̄ ̄\ .___
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|/VV.| .| VV\|"'; まあ、本当に神は居るんだけどね。
たとえ信じられなくとも、なるべく人間としての悪行だけは慎んで生きた方が良いよ。
それだけでも、死んだ後に後悔しないからw >>973
もう、現代では、イエスがキリストではないし
聖書もキリスト教でも考古学者でも聖書学者も他の学者も科学者も数学者も世の中も
もう、あなた方掲示板住人が思ってることとは反対が証明というかは言わないけど一流の資料が揃ってきてて、分かる人は分かるのでしゅが⭐⭐⭐ >>974
別にキリスト教だけに限らない、
もし神が本当に居なければ、世界にこれほど宗教やスピリチュアルは無いよ。
信じてる人間だって、理性の無いバカじゃないんだからw >>971
まちこさんも
「主が十字架にかけられたおかげで我々は救われている」と感謝してんじゃん。
ちなチャールズホッジは十字架の主に対して
「平伏せ」「讃えよ」でもなく「(自分自身が砕かれてる様を)見よ!」とだけ熱弁してるが。 >>970
>十字架は勝利宣言となった
それは復活によって証されます >>978
プリティさんは閻魔様は居ると仰ってるわ。😃 おはようございます
朝から風が凄いです。
春の嵐ですね。
>>806
> キリストが罪を犯した、罪そのものになった、を否定してますし
>昔はそう言ってたのですけどね
まちこさん説はすべて両ケネスそのものですから、彼らをを捨てない限り
彼女が変わるなんて事を期待は出来ないと思います。 >>817->>819
この教役者の内の誰一人「イエス様が罪を犯した」、とは言っていないのだけど。
>>820
>>821
アーメン 霊的な死が勝利であることが証明されるのは復活後。
それまでは 罪そのものに へりくだられ
その間に人々はキリスト越しに罪を悔い改めます。
チャールズホッジは、十字架上に挙げられたキリストを
フライングで「高挙」「栄光」とする人々を激しくディスってます。
以上がプロテスタント神学だと、何百遍も言わせんな。 おーい河童太郎
グウの音も出えへんやろ
>キリストは罪を犯したことがないし、罪を犯そうと思うことすら出来ない
ゆえに原罪を負えたんや
>「罪そのものになった」という間違った解釈
せやったら818は全員異端やんけ
>未熟なキリスト
人にへりくだったんやボケ
>「血による贖い」
正教会神学と改革派神学はちゃうわボケ
>霊が死なないと肉体が死なない
神から離れなければ肉体の死もあれへんぞ >>979
まちこさんは感謝している。
しかし同時にまちこさんは「十字架につけられたイエス」=「サタン」だから
エンガチョしなさいと考えて、カトリック信徒のペンダントを叱られました。
神学者たちはすべて、
「十字架につけられたイエス」をエンガチョしなさいとは考えないので
カトリック信徒のペンダントをスルーします。 「愚かで無知な論議をやめなさい。それは、あなたが知っているとおり、
ただ争いに終るだけです。
ヤハウェの僕たる者は争ってはならない。
だれに対しても親切であって、よく教え、
よく忍び、 反対する者を柔和な心で
教え導くべきです。
おそらく神は、彼らに悔改めの心を与えて、
真理を知らせ、 一度は悪魔に捕えられて
その欲するままになっていても、目ざめて
彼のわなからのがれさせて下さるでしょう。」
テモテ第二の手紙 「愚かで無知な論議をやめなさい。それは、あなたが知っているとおり、
ただ争いに終るだけです。
ヤハウェの僕たる者は争ってはならない。
だれに対しても親切であって、よく教え、
よく忍び、 反対する者を柔和な心で
教え導くべきです。
おそらく神は、彼らに悔改めの心を与えて、
真理を知らせ、 一度は悪魔に捕えられて
その欲するままになっていても、目ざめて
彼のわなからのがれさせて下さるでしょう。」
テモテ第二の手紙 「愚かで無知な論議をやめなさい。それは、あなたが知っているとおり、
ただ争いに終るだけです。
ヤハウェの僕たる者は争ってはならない。
だれに対しても親切であって、よく教え、
よく忍び、 反対する者を柔和な心で
教え導くべきです。
おそらく神は、彼らに悔改めの心を与えて、
真理を知らせ、 一度は悪魔に捕えられて
その欲するままになっていても、目ざめて
彼のわなからのがれさせて下さるでしょう。」
テモテ第二の手紙 >>852
誰が万代さんに心酔していると言いましたか?
彼に会った事も話しを聞いた事もありません。
一人合点は道を誤らせます。 しかしキリストがすでに現れた祝福の大祭司としてこられたとき、
手で造られず、この世界に属さない、さらに大きく、完全な幕屋をとおり、
かつ、やぎと子牛との血によらず、ご自身の血によって、
一度だけ聖所にはいられ、それによって永遠のあがないを全うされたのです。
もし、やぎや雄牛の血や雌牛の灰が、汚れた人たちの上にまきかけられて、
肉体をきよめ聖別するとすれば、永遠の聖霊によって、
ご自身を傷なき者として神にささげられたキリストの血は、なおさら、
わたしたちの良心をきよめて死んだわざを取り除き、
生ける神に仕える者としないでしょうか。
それだから、キリストは新しい契約の仲保者なのです。
それは、彼が初めの契約のもとで犯した罪過を
あがなうために死なれた結果、召された者たちが、
約束された永遠の国を受け継ぐためにほかなりません。
いったい、遺言には、遺言者の死の証明が必要です。
遺言は死によってのみその効力を生じ、
遺言者が生きている間は、効力がありません。
だから、初めの契約も、血を流すことなしに成立したのではないのです。
すなわち、モーセが、律法に従ってすべての戒めを民全体に宣言したとき、
水と赤色の羊毛とヒソプとの外に、
子牛とやぎとの血を取って、契約書と民全体とにふりかけ、
そして、
「これは、神があなたがたに対して立てられた契約の血である」と言いました。
彼はまた、幕屋と儀式用の器具いっさいにも、同様に血をふりかけたのです。
こうして、ほとんどすべての物が、律法に従い、血によって清められたのです。
血を流すことなしには、罪のゆるしはあり得ないからです。 >>988
市川先生が仰せのように「実体」と化してるなら
それは偶像崇拝の文脈で禁忌されるのでは? 詳しくは読んでないのだけど
別スレで暇人さんが「台風は来ません」について何か言ったようだけど
大体まちこさんの説では「信仰の言葉運動」を実行したので、言った通りに
なるを信じただけです。まあ、上手く行かなかったのでしょうけど。 暇人さんの事だから真剣に話題を振ったわけではないのでしょうけどね。 >>997
暇人をなんだと思っているのだww
>>995
市川先生にメールしてみなさい。
「十字架につけられたイエスは、つけられた時点でサタンへと実体変化したのですか」と
ノーとおっしゃいますよ >>982
あなたから離れて正解でした。
いつの間にか住み着いていた恐れが無くなったことに感謝します。
むしろ、両ケネスのテープを聴いているさほうが、私の心を振るい立たせてくれて、神様の言葉を明らかにしてくれます。
問題は、両ケネスがどうのこうのではなく、
私たちが神様と強い繋がりを持つようになるかどうかです。
クリスチャンなら神様に喜ばれる仕事をしているかですね。 このスレッドは1000を超えました。
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