ガラテヤ5・22〜23
しかし、「霊」の結ぶ実は、愛、喜び、平安、寛容、親戚、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じるおきてはありません。

カトリック聖書注解
悪徳
(肉の業:姦淫、わいせつ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間割れ、ねたみ、泥酔、度はずれた遊興、その他このたぐい)
は、人間が自分の力で造り出すものとみなされ、「業」と呼ばれたが、
善徳は、「霊の結ぶ実」と呼ばれている。
人間の働きによって結ばれるものではなく、キリストと一致した人間に宿る聖霊によって結ばれるものだからである。
冒頭に挙げられている「愛」は、他の徳の基礎あるいは源としての地位を占める。
なお、ここに挙げられているあけつかの徳は、一コリント13・4〜7では、愛の特質とされている。
新約聖書のいうキリストの愛とは、他人を尊び、その価値を認め、自分の利益を度外視して他人の幸せを望むことを意味する。
聖霊によって生かされているキリスト者の愛の生活は、自己中心的な人間の欲望を十字架につけることになる。
(次の二つの節参照)