不退転とは、「決して退かない、あきらめない、やめたりしない」
という意味で理解されていることが多いかもしれないが、多分違う。

一旦ステージが上がってしまったら、どんなに必死に戻ろうとしても、
以前の(俗なる)自分には戻りようがない、という意味なのでしょう。
だからこそ、「来て、見よ」と言われ、且つ、すべてが滅し、静まり、
再び母胎に宿ることがない(≒俗世の業を積むことがない)と言われるのでしょう。

その意味で、定を修める(極める)ことは、(どのタイミングどの段階かは別としても)
通過が必須な要素なんだろうね。