すでに客観的に存在する事物はない
さて、シニフィアンが恣意的に成立していることまで説明しましたが、
その指し示す対象自体(シニフィエ)についても考えてみましょう。
ここでは「虹」の例がわかりやすいかもしれません。
虹はある文化では3色だとされています。
日本では7色ですね。

このように同じ対象(シニフィエ)に対して様々な見方、呼び方があります。
つきつめて考えると、客観的に存在している事物に「シニフィエ-シニフィアン」の構造があるならば、
いつもその概念は同じになるはずです。
にもかかわらず、「虹」を見ればわかるとおり同じ対象に対して別の見方が生まれるのは、

客観的に存在している事物はない
からだと考えられます。