人類に神概念や宗教がいかにして発生したか。クリスチャンはまずそれから考えよ。
人類の発生は、イエスが生まれる、そして聖書が書かれるはるか、はるか前で
ある。文明の利器など何一つなく、厳しい自然と闘いながらひたすら生存に
務める古代人たちは、生存を助け、又は妨げる自然現象を発生させる不可知な
力を、それぞれ便宜上「神々」として、感謝し、又は憎悪した。生物としての
彼らにとって至上の目的は「生きる」ことであり、神概念や宗教の発生も、当
然、生存の手段の一つであった。その目的は、生存のために不可欠な物資や温
和な自然現象を得ることであった。宗教によって求めたのは、あくまで生存に
必要な物資や温和な自然現象であり、生存にかけ離れた甘ったれた精神的利益
などではない。古代人にとっては、彼らなりの文字通り命がけの「現実性・合
理性・科学性」の追求であり、まさに現代の科学に相当するものであった。寝
転んで、「この世界を創った者はだれか」などと考える余裕があるはずが
ない。そんなことをしていれば、明日の食物が得られないばかりか、野獣や
自然現象に殺されてしまう。古代人の宗教が、専らアニミズムや自然崇拝で
あることは、当然のことである。
自然現象の原因が解明され、牧畜や農耕によって生存に必要な物資が人為的に
得られる時代になると、古代人の神々はすべて消滅したのである。
一方、創唱宗教は、例外なく開祖の精神病から生じた。精神病による観念の
遊戯から、古代人の宗教の生存との関連が切断されてしまったのである。
この人間の生存努力の成果である科学が、いかなる宗教の奇跡も及ばない驚異
的な発達を遂げた現代においては、古代人の神々はもはや消滅したのである。
現代人が、古代人の妄想であった、そして開祖の精神病の症状である宗教を信
じる理由は全くない。生存を忘れた創唱宗教は、生物としての人間の唯一の普
遍の宗教であった生存本能(生命)に逆行する倒錯に過ぎないことに気付くべ
きである。