晃氏は、案外な程にお勉強せし形跡が、そこはかとなく在る。
御手元には良い資料が事欠くことなし。
御身分は、暇がタップリある隠居の院主亦は、雇われ坊主と見た。
それならば、国立大インド哲学課に問い合わす顔はない。
若年より学んだ宗学が、根底から長物の無駄でしたので改めます。
板曼荼羅は、カンナを掛けて更にして更に直します等
とは股が三つに裂けても言えない哀しい立場なんでしょう。
因みにわたくしの、所持する書籍のどこかに釈尊の歴史生存年代が記載されてます。
あのインドの時代に生きた人物としては、最も正しい年代を特定されているとありました。
そうですかと、受け入れるしか在りません。
兎に角、晃氏の仏教全体における認識は、歴史的な資料性に欠けること甚だしい。
外から見ると、コリャすっかり騙された人でやられっぱなし。
助かるのかな、財産喪失の瀬戸際みたいな状況。
過去に生きた立派な人が間違った事を説い事を訂正し、考え直す過程が必要。
日蓮は偉人かもしれないが、間違った教えを直してやるのが更正させる道のり。