もう一つ、>>89 のような疑問をまた刺激してしまう事ではあるが
これは悟りの説法には付き物なのぢゃ、心して聞くが良い

先ほど和智は、悟りは登山のようなもの。と、このようにレスを書いて
山を登り歩き進め、というニュアンスまで同時に伝わってしまってはおるが

悟りとは、我が身を前へ前へと歩き進め、上へ上へ登り進めることではなく
手元にある、その心にこびり付いてる執着の数々を「剥がしに剥がす」こと
これなのぢゃ。だから登山は単なる喩え話しであることを理解されよ?

名湯の湯のバスクリンで色鮮やかになってる暖かくて気持ちの良いお風呂に
入る前には人は必ず「衣服を脱ぐ」ものぢゃ。しかし凡夫の心は真冬の極寒状態
そう易々と衣服を脱げたもんではない。寒くて、痛くて、面倒くさくて、嫌だ
今日はお風呂には入りたくない。コタツから、お布団から、出たくない、寝る!
こんな状態でもある訳ぢゃ。覚者は人が違えば、「進めと止まれ」など
片方の教えのみを言う場合もあれば、和智がしたように両方を説く場合もある

そういうモンぢゃ。分かったの (-人-)