キリスト教徒が虐殺や略奪を恣にした場所で原住民に
キリストの救いを説くその了見が、仏教徒の私には理解できません。
なぜそれらキリスト教的に救いがたいことをし、今も
植民地にして征服したまま(あるいは保護領という実質的な植民地)で
原住民を豊かでない土地に追いやっておきながら、
キリストの再臨などを信じろというのか?
キリスト教徒は何を狙っているのだろう。
キリストが再臨でもしたら、征服者のキリスト教徒はどうなるのか。
考えたこともないのだろうか。