輪廻もカルマも存在しない。
ただ、映画の上映内容をリアルとして扱えば、輪廻もカルマも幻影として存在する。

対象化された世界とは、欲望の世界だ。
エゴは「神から離れた」という罪悪感ゆえに、神からの隠れ家として対象世界、つまりこの地上というエゴの上映舞台を利用する。

この神からの隠れ家である上映舞台において、エゴは演技手段として肉体を作り出し、肉体に基づいて行動する。
エゴは神の創造性を真似て、肉体にも創造性を付与しようとした。
しかし、これは失敗だ。
エゴには、不滅、普遍性のものは創造できない。

よって、肉体での創造には常に限界が付きまとい、特別性を得るために獲得や競争への欲望、あるいは失敗や病への抵抗が発生する。
この「自分は素晴らしい」という幻想世界における特別性を得るための虚妄な努力が禍根を生じさせる。
なぜなら、肉体には完璧な行動など不可能だからだ。

この肉体の不完全さによる禍根の発生がカルマとなり、次なる人生に持ち越される。
しかし、この次なる人生も元の人生も幻想。
肉体に基づく人生とは、心が自己を分離存在だと思い込んで意識を投影した映画の世界。

人間は自分のエゴに気づかない限り、「自分は罪を抱えている」という原罪の念を背負い、不完全な体ゆえに特別性を求めて、その特別性を叶えられずカルマを量産し続け、そのカルマを精算しようとして幻想世界上で輪廻し続ける。

苦しみとは肉体の苦痛のみではなく、エゴに気付けというあなたの聖霊(良心)の呼び掛け、呼び水でもある。
苦しみの原因とはなんなのか?
欲望か、人生の失敗か、病気か、カルマか、別れか、あなたは探し続ける。

でも、それらの苦しみや欲望を満たしてもやっぱり苦しい。
それらの苦しみや欲望の原因の根本に、聖霊(良心)はあなたを導く。

コースはその導きの一つだ。唯一ではない。
選択はあなたに任されている。
苦しみの時間を少なくしたければ、カルマや輪廻という幻想に拘ることが回り道であることをコースは教える。