パーサ:
次の姿勢が非二元論よ。学びの姿勢でも、スピリチュアルな見方でも、私たちが言うのはつねに心の状態よ。心の姿勢であって、目に見える外界のことじゃないの。簡単な例から始めましょうか。

 森で木が倒れたとき、誰もいなかったら倒れる音はするか、っていう古い謎々を覚えてる?
 
ゲイリー:
 覚えてるよ。答えは証明できないから、必ず議論になるんだ。

パーサ:
 で、あなたの答えは? 議論はしないと約束するわ。

ゲイリー:
 聞いている人がいようがいまいが、木が倒れる音はすると思うな。

パーサ:
 その回答は、形のレベルでさえ、まったく間違い。木が倒れると音波が送り出される。音波は電波みたいなもので−どっちもエネルギー波だけど−受け取る相手が必要なのよ。
この部屋にはたくさんの電波が飛び交っているけれど、受け取るレシーバがないから何の音もしていないでしょう。人間や動物の耳はレシーバーよ。森の真ん中で木が倒れても、聞いている人が誰もいなければ音はしない。
音は聞く者があって初めて音になる。あなたが見たり触れたりするまでは、エネルギー波がモノとして現れないのと同じ。

 つまりタンゴを踊るには二人の人間が必要ってこと。何かがかかわりあうためには二元性が必要なの。だって二元性でなければ、かかわりあう相手がないでしょう。
見るほうにそれと対応する姿がなければ鏡には何も映らない。二元性がなければ森のなかの木もない。

 量子物理学の一部が気づいているとおり、二元性は神話なのよ。そして二元性が神話なら、木がないだけでなく、宇宙だってやっぱりないの。
それを認識するあなたがいなければ、この宇宙はない。この宇宙がないなら、このあなたもない理屈になる。存在という幻影を生じるためには、一なるものを分割しなければならない。
あなたがたがやっているのが、まさにそれ。すべては仕掛け(トリック)ね。

「神の使者 ゲイリー・R・レナード著 河出書房新社」