欲望を追求することは
宗教の最終目標を達成しようと考えるものにとって好ましくない。

なぜなら欲望自体が自己に対する無知と体などへの愛着から生じており
その傾向を強め、潜在的傾向の破壊をより困難にするから。

教義としての善悪(誤った行為、考え)はこの意味合いが強い。


基本的に善悪は複数の要素における解釈が複雑に絡み合うため
これと言えるものはない。

例えばヒトラー支持は当時の社会的な情勢だろうから
支持の立場をとっても国内から生じる個人への一時的な不利益は少ないが
しかし普遍的な意味で、戦争は他国からの反感など不利益をもたらすため
結果的にドイツ(国民)の責任が問われた。