>>746

>論理は、思考基盤に
> よって百人百様であるから、思考の前に普遍的な思考基盤を思考して、
> 確定しておくことが不可欠。さもなければ、思考は、単に混乱を招くだけ。
> 哲学が、その好例である。

哲学は論理において数学と、いえどのような学問とも同じですよ。

おもしろいのです。 
眉間にしわをよせてだとどのような学問もおもしろくないでしょ。

でもね、あなたがいうように、自分の抱えている問題を解決しようという
センスであれば、哲学もまったく違うものに、
そう質的に違うものになるのでは。

学校で7教科たとえばあるとして、自分の抱える個人的な親子関係だとか
恋愛関係だとかを、
まあ、何か個人的な悩みがあるとして、
それらの教科で直接的に解決しようとしないはずですよね。

でも、おもしろいし偏見なく色々な教科を幅広く楽しめるほど
この世の色々に対して視野が広がり、
「へ〜〜」 とやっぱり楽しいじゃん、と間接的に自然的に解決していたりよね。

哲学も一つのそういった教科であり、この世の変化に即した観察力や
論理が、方向性としてまじめなおもしろさがあるのであって、
直接的な答えは、宗教であれ哲学であれ
自分自身が出会わないとそういった教科自体にあるわけないのです。

宗教を渡り歩くような延長の哲学

哲学を渡り歩くような延長の宗教

そういったセンス、視野感覚ではきっとしんどいでしょうし、
おもしろくないでしょうね(^.^)