批判がないところには理解がないのはその通りだが、その批判の質がさらに深い理解を生むんだと思うけどな
ご隠居のは批判じゃなくて妄想の「いいかがり」

当事者として道を歩むからこそ紆余曲折があり、そこから生まれる個としての批判は個の信仰を深めるきっかけになるだろう

しかしご隠居をはじめとしたいいがかりは大半が単なる無知から生じてるから妄想いいがかりは変わることなくそのままの形で停滞する

無知によるいいがかりも理解が深まれば無知が知に変わり深い理解から出てくる批判に変わるが、単なる勘違いレベルの無知で学びのプロセスが介在してないから無知は無知のママで停滞する