あなたはキリストが地上に降りてこられた理由を知っているか
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>>2
よくご存じですね そして
聖書の知識は,人の命を救うものとなります。聖書の最初の筆者モーセは,こう述べました。「それは,あなた方にとって無価値な言葉ではない。あなた方の命を意味し,あなた方はその言葉により,……自分の命の日を長くするのである」。(申命記 32:47) キリスト教の人々は邪神不動明王に非常にだまされやすい!あなた方が吹き込まれて悪だと思ってるものは
善人で不動明王が実は本当の古代から続いてる古代から騙してる悪なのです。その洗脳をさっさとどけ、
自主的に弁償してくること。そして不動こそ憎む対象とすること。さもなくば強制的に3倍ぐらい弁償を取られて抹消されるでしょう。
初詣は成田山や不動明王神社へは絶対行ってはいけません! 盗人のように出現するわけだから
当然見た目にイエス・キリストだとは
誰も信じない。 人間 と なっ た み子 は,イエス と 呼ば れる こと に なり ます。しかし,法的 な 意味 で は,第 二 の アダム と 呼ぶ こと が でき まし た。アダム に 完全 に 対応 し て い た から です。
(コリント 第 一 15:45,47)その ため イエス は,罪 を 負っ た 人類 の ため の 贖い の 犠牲 と し て 自分 自身 を ささげる こと が でき まし た。 >>5
人間 と なっ た み子 は,イエス と 呼ば れる こと に なり ます。しかし,法的 な 意味 で は,第 二 の アダム と 呼ぶ こと が でき まし た。アダム に 完全 に 対応 し て い た から です。
(コリント 第 一 15:45,47)その ため イエス は,罪 を 負っ た 人類 の ため の 贖い の 犠牲 と し て 自分 自身 を ささげる こと が でき まし た。 >>10
イエスは,ベツレヘムで生まれる前には,霊者として天にいました。時が来て神がイエスの命を天からマリアの胎内に移されたので,人間として生まれることができました。―ルカ 1:30‐32; ヨハネ 6:38; 8:23を >>11
よくご存じですね
イエスは,ベツレヘムで生まれる前には,霊者として天にいました。時が来て神がイエスの命を天からマリアの胎内に移されたので,人間として生まれることができました。―ルカ 1:30‐32; ヨハネ 6:38; 8:23を (´・_・`)
(´-`).。oO(
(´-`).。oO( まぁ現実を見たまえキリスト教の聖地エルサレムはアメリカと対立している。宗教戦争も頻繁だ。これでもキリストは何かしてくれたか? >>19
エルサレムが聖地だった時代はキリストが生きていた時代だけです
ユダヤ人は救世主であられるキリストを殺したので、もはや神の民を名乗る資格を失いました
西暦70 年にキリストの予言通り、ローマによりエルサレムは破壊されたではありませんか
ユダヤ人はそれ以来、国民として存在していません 天から下って来て世に命を与える者、それが神のパンだからです。 >>14
神 は,その 独り子 を お与え に なっ た ほど に,世 を 愛さ れ た。独り子 を 信じる 者 が 一 人 も 滅び ない で,永遠 の 命 を 得る ため で ある」。―ヨハネ 3:16,「新 共同 訳」,日本 聖書 協会。 >>23
下らないねぇ。神はなんかした?この世をいつ救う?キリストはなんかしたのかい?奇跡?下らない。 >>20
テレビ見なさいw神は何かした?この世を救うような事した?
世界を創ったとかじゃないよね >>25
罪を受け継いだ人間は
死という罰を受けて当然ですが,
神は「過分のご親切の富」を差し伸べてくださいました。(エフェソス 1:7)
人類を買い戻すための神の備え,
つまりイエスを完全な犠牲として地に遣わすことは,全く公正で,
極めて憐れみ深いことでした。 >>24
聖書は,神の約束された新しい世で
「義者と不義者との復活がある」
と述べています。
(使徒 24:15)
また,今は神に仕えていない人も,
仕えるようになるなら
,救われる見込みがあります イエスが神なら預言者モーセの海割りくらい余裕で超える奇跡できたと思うんだよね
磔前にそのくらいかませればみんなビビって言うこと聞くでしょ >>30
確かに、それくらいの奇跡など簡単ですが、大河を渡らせる必要はないので、単純にそうしませんでした
悪魔の誘いに乗って崖から飛び降りなかったのと全く同じです 奇跡により無傷で飛び降りることなど、簡単なことでした。
人々の好奇心を満たす目的で、派手なパフォーマンスする必要はありません
そういうのが好きな人はサーカスに行きましょう >>30
現にキリストは、死人を生き返らせるなどの、モーセを超えた奇跡を多々行っていますね 神の計らいにより、天使の長であるキリストが、人類の贖いのために地上に遣わされたのです 天使の長とも言えなくはないが、天使長ではなく子なる神。 ちなみに、箴言の知恵は 最初に創造された霊者ではなく 知恵の「擬人法」による詩歌ですよ。イエス=ミカエル説はセブンスディアドベンチスト派が最初提唱し ワッチタワーがパクった教え 死んだら無になるのも SDAからのパクり >>36
キリストはミカエルでないとしても、天使の長に違いはありません
キリストは神の子という聖書の記述はあっても、子なる神という記述は見たこともありません >>38
イエス=神 否定
生命観 死の実相 復活の意味があやふや→カルト脳
ギリシャ人等の説く霊魂不滅とユダヤ人の死生観を混同して組織から教えられているのが見え見えである、
少し此処で 説明せにゃアカンかな 先ずは死生観についてから 西欧社会がヘブル文化よりギリシャ文化の影響を受けたのは不幸だ。その影響は 政治(民主主義はギリシャの概念)建築(公共物にコリント式柱廊)スポーツ(競技はオリンポス山から始まる)など
またギリシャ人がそうであるように 「物事を総括的に」考えない傾向 物事を区別する傾向 がある。 吾輩は猫に登場する迷亭の叔父 牧野男爵が 近代文明は形而上のうわべだけでいざというとき何の役に立たないと喝破している 聖と俗 永遠と一時的 霊的と肉的というように 通常どれも後者を見下す形に分けてしまい 霊と肉は善悪のように相容れないとされてしまった ギリシャに端を発する西欧社会は 肉体は比較的重要でないと考えられてきた 欲望の器 偶像視など(グノーシス思想)しかしそれとは対照的に ヘブル人の考え方は 神が肉の世界を造られたので基本的に「良い」ものとの理解で始まる。 >>38
いわゆる霊魂不滅はバアル崇拝からではなく古代バビロンからですよ ギリシャ人はその「不滅の魂」思想を受け継いだようです、それを先ず説明しましょう。 ギリシャ思想では 基本的に 人とは「死すべき肉体の中に閉じ込められた不滅の魂」と考えています これが人間の成長を拘束するので、死すべき肉体から自由にされるまでは 肉体を訓練させようが 放蕩にさらそうが ある意味どうでも良いと考え方 しかし完全かつ最終的な「解放」をもたらすのは「死」
つまり死は ギリシャ人にとって歓迎されるべき友なのです。 ソクラテスは弟子たちの前で猛毒を飲んだときに そのことを熱意を込めて語っていますよ。ギリシャ人は常に 自害用の剣と毒を身に帯びていました。自殺はいまだに困難からの「エスケープ脱出」として考え方はギリシャからです。
死すべき肉体を毛嫌いする不滅の魂の概念は 究極自殺賛歌をもたらすのです。日本の腹切りとは根本的に違う ――肉体は墓にかび臭くなって横たわり しかし彼の魂は歩み続けるのだ。(ジョン・ブラウンの遺骸)より
教会史の初期に こうしたグノーシス思想が浸透し パウロ初め原始キリスト教父たちは こうした考え方と戦っていたのです。ニコライ派等
→中世のスコラ哲学は教会の堕落と言って差し支えないでしょう。 以上を前提に考えると パウロが使徒17:32アレオパゴスで宣教したとき 「死後、再び体が与えられるという考え方=アナシタシス復活」はギリシャ人にとって馬鹿げた話でした。実際 死後も体の存在を考えは忌まわしい嫌われた思想 それは霊魂の監禁に近いこと とりあえずファティマみて卒倒する準備は出来てるかい?皆の者よ ギリシャ人にとって 復活は忌まわしいゾンビのようなイメージだったので パウロを嘲った理由
毒瓶と短剣を帯びた彼らにとって 誰が復活を望むでしょう。出来るだけ早く 肉体から離脱するに越したことはないのです(ギリシャでは埋葬より火葬が普及している日本とは別な理由で)
要するに ギリシャに於いて 死とは 解放 歓迎されるべき友でした。ヘブル思想とは似ても似つかないものだったのです。 同じ 霊魂の不滅を教えているアーリア思想 輪廻転生については また次回詳しく話しましょう。
いいですか バアル崇拝からだ などと単純な組織からの洗脳に騙されないで ご自分で調べ考えることをオススメいたします。 >>37
追加 それは貴方との見識の違いです。
独り子なる神とヨハネ1章にありませんか? 18節に 貴方の持っておられる聖書が新世界訳では違うのかな? ではまた次回に >>50
バアルとは、バベルの塔を築いたニムロデを、神格化したものと受け止めています 半神半魚ダゴンもマルドゥックもアモンも、バアルの変化形だと考えています
バビロニアの諸宗教の最高神はバアルだと考えています >>37
キリストは独り子の神、神の子、神とはあってもミカエルや天使という記述はない。 幸せと不幸を十倍に増やした。救う人と救わない人を決めた。
人間と動物に分けた 聖書の現代的な要約
旧約聖書の創世記が大切にされるのは、アフリカの密林の時代から伝わる数少ない口伝の文字起こしされた伝承だからである。
最古でも唯一でもないが、大事にされている。まちがいだらけなのは当然である。
ナザレのヨシュア(イエス・キリスト)が話したことばはアラム語らしく、
それは古代シュメール文明のアッカド語であるらしい。
アラム語とアラブ語は非常に強い関連性があるとして、研究がされている。
ナザレのヨシュアとは、アラム語を話していた語圏にプラトンの「国家」を第五巻まで読んで訳した人のことである。
ナザレのヨシュアが反乱した時、鎮圧して勝利したユダヤの王ヘロデ王のことも、ぼくは別に悪人だとは思ってないよ。
ただ、ヨシュアの革命は失敗したなあと思っている。
だから、プラトンかトマシュコスのどちらがよい教えなのかが問題であった。
トマシュコスも生きていて実在していたであろうと考えられている。
そう、強いものが正義であるという常識に対して、正しいもののが損をすると、
トマシュコスもプラトンもナザレのヨシュアもその使徒たちも考えていたはずである。 地上に降りた理由は知らんが、誰がそれを見てたんだ?
見てた奴はキリストより偉いんだろ?
所詮宗教なんてもんは詐欺。 >>58
キリストベツレヘムで産まれました 馬屋で産まれました 当事者なら何人も見ているはずです
マリアを聖母として崇拝することは間違っています 偉くありません
もしキリスト教会に聖人像などが設置されているなら、紛れもない背教です
ユダヤ人は背教ゆえに神に裁かれ、エルサレムを失い、離散させられました 宗教的’体験’予言にもいろいろ事後的にも先鋭に敷いてある思想とかもあるし、
手続きがあることも多い。今でいえば精神的に
、キリストに触れあうことは無上の喜びだから、
キリストはあなたのことではないわけだよな。
寄せ集めの同コミュ的群衆じゃ見物客にもなれていない。
一つの命をすべての世界を救うのがユダヤ教なら、ユダヤ教にはそんな偽善はない、
という正命題が成り立ちマル。時間順不同。 ----
† エペソ6章10-12節
終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。
悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。
私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、
また天にいるもろもろの悪霊に対するものです。
---- 格闘着。かあ。
神具や武具も海外が由来かな。日本から見ればまあ大概そうだろうな。
なり立ちます。 >>59
正確には紀元前7年の初秋 仮庵の祭の頃に エルサレム近くのベツレヘムのとある洞窟(家畜小屋の説)に 十五才ほどのミリアム(マリア)とヨセフ夫妻が やむを得なく滞在 その聖なる晩(サイレントナイト) 幼子イエスがこの地上にお生まれになられた。
天使は近くの羊飼いらに この喜びを伝えている 天使は言った。
「恐れるな。わたしは民全体に与えられる大きな喜びを告げる。
今日ダビデの町で、あなたがたの為に救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。…」すると突然 この天使に天の大軍が加わり 神を賛美して言った。
「いと高きところには栄光、神にあれ
地には平和、御心に適う人にあれ。」
(ルカ福音書より) >>64
イエスは亡くなられる前に苦悶し、父に祈りました いや、生きておられる時に神に何度祈りました
もしキリストが神であるなら、天界の誰に対して祈りましたか?
キリストは死んだ後に復活しましたが、誰がキリストを復活させましたか? >>65
主イエスは神であり人であるユニークな方です。
主は人類の代表として時に父に祈り 神として癒し奇跡を行いました、
http://www.path.ne.jp/~millnm/yeho.html そんなイエスの生態なんてどうでもいいわ
利用する性職者を何とかできませんかね?性職者のせいでキリスト教を疑い地獄に堕ちた人間を何とかしない神様はいかれてるよ。 >>67
黙れ 創価学会員 日蓮正宗から破門されて偽御本尊様を拝んで友人葬しかあげられず 成仏出来ず 阿修羅道 畜生道 餓鬼道 地獄道まっしぐら
現証は悲惨過ぎるぜよ!
創価学会員 >>65
愚問 本当に理解出来ないのなら貴方は(キリスト者)とは言い難い。
キリストの(復活)の意味さえ理解出来ないのでしょうね、機会あれば次回に詳しく説明させていただきます。 >>68
バイアスに溺れる人間に何を知れると思うかね?乏しいんだなあんた… 牧師、神父の不祥事があったとしても重要なのは自分と神との関係。 神は人そのものであるからこの世に来た
だからこそ逆に人は神の似姿であると言える 理解出来ないのはしょうがないが、他者は必要ない。という意味の根幹は神父、牧師、教皇にキリスト教が汚されてるという意味だ。
そしてキリスト教はそんな穢れを産み神を見下す異教にすぎない >>65
復活という事がまずおかしいイエスは人間では? >>27
現状神は何かしたか具体的に聞いてるんだよ死後の世界であーだこーだじゃなくて >>27
そうやって人は神がなんでもすると信じるんだな >>26
憐れみ深いということは神は人格を持つという体で話を進めるよ。アメリカでは竜巻が起き、メキシコでも地震が起きたけど、神は何があってそんなことをしたんだい?「憐れみ深い」神が? お前らは神は居るとかほざけるくせに神が居る証明
は出来ないんだな。居ないものに頼ってもしょうがない。 >>76
俺は君の話をしていない集団の話しをしている。
集団に神は語れない >>82
個人が一様ではないように集団も一様ではない。 >>66
イエスが荒野で誘惑をうけた際に、わたしたちは神のみを崇拝しなければならないと説きましたが、イエスが神であるなら誘惑をうける必要性がないと思います
4:8 次に悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華とを見せて
4:9 言った、「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう」。
4:10 するとイエスは彼に言われた、「サタンよ、退け。『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。
4:11 そこで、悪魔はイエスを離れ去り、そして、御使たちがみもとにきて仕えた。 エホバの証人ばかり取り沙汰されているようですが、昔からイエスキリストを神としない考えは、ネストリウス派キリスト教会やイスラム教など、存在しています
キリスト教がカトリックに取り込まれてから出来た三位一体の考えは、古代バビロニアの宗教にルーツを持つように思えます >>80
この世の神は悪魔、サタンという霊者です
残酷な出来事が起きるのは、当然ではないですか? >>83
その通り。神も一様ではない
キリスト教は人間に寄り添いすぎなんだよキリスト教という集団に >>81
実際に聖書に接触して、内容を知ることから始めるのが先ではありませんか? 例えば、キリスト教会はクリスマスを祝うことは常識ですが、クリスマスは異教の祝祭にルーツがあります
キリスト教でありながらハロウィンですら祝うクリスチャンもいます
明らかに大半のカトリックやプロテスタント教会も聖書の教えに違反していますよね? >>87
では、その一様ではない神というものの種類を挙げてみなさい。 >>89
ハロウィンは例外として、クリスマスは先にキリストの喜ばしい誕生があっての事。
ルーツは異教ではない。どの日を尊ぶかは個人の良心の問題。問題なしと判断している兄弟を裁くべきではない。 >>80
神が怒ってるんだろ
異常気象も温暖化じゃなくて神が怒ってるんだよ
阪神淡路も3.11もスマトラなどの大地震も多いだろ
現代の人類は神を怒らせている >>94
君は俺の主観が気になるのか?俺の主観は一つだ。
だがこの世界には数多の主観がある、神は主観に依存する。しかしキリスト教はどうだ?君の主観はどこにある? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています