>>385
> 神の存在証明の議論とかに持ち込むとなかなか面白いと思うのだよね。
面白いのが思いついたら、書くよ。

> 神とは思考の世界にのみいるのだから。
もしも思考ができないおびょーきの人がいたとしたら、
その人にとっては、神は発想の外側なのかな?(扱うことができない)

> でもそこを歩いていくのが人生だとも思う。
そうそう、「灰」がホントに腑に落ちたとしても、
その上で白黒つけて生きていくわけだからね。
(この分別に還るというニュアンスの言い回しは仏教関係でよくでてくる)

>>394
碁よりは将棋のほうがわかるのがこのわたし。(よわいけど)
将棋の大局観って、アタリをつける上手さのことだと思うの。
それは経験によって培われるもの。
将棋では、省エネの為、にアタリをつけてる気がする。

こないだの羽生さんの会見で、(違ってたらごめん)
大局的に捉えることで、見落としてしまうものもある、みたいなことを言ってた気がする。

なんの為にアタリをつけるのか、という部分はそのジャンルによっては、
全く目的が違うと思うの。
(仏教的には、慈悲をもってあたる為なのかな…?)

> つまりその変わった人もただ偶然にでてきたものではなく、ある意味では必然だった。
反射と自由意志は、わたしは白黒つけたらかえって首が締まると思うの。
比率としては、反射:自由意志→9:1、ぐらいととらえるのがいいかなと思う。

反射を9とする理由は、なんだかんだいって元々の肉体的な性質や、
育つ環境にうける影響はでかいと思うの。
だからアレな人がいても、その人に対して慈悲深くなれるでしょ。

自由意志を1とする理由は、確かに↑の環境にうける影響はでかいんだけど、
改善したいという意思をもって取り組めば、自分の境遇は善い方向に、
もっていくことは出来る、って希望が持てると思うの。
(言語はマシに過ごすために用いるものなのに、
それによって結果的に首が締まるなら、使わないほうがマシとすら言える)