>>52
>では、なぜ、それら形成されたもの、名称のあるものが、ここに、このようにして現れたのか??
>わかるわけがないw

確かにわかるわけがない。

でもそれでは話が膨らまないから。
旧約聖書の天地創造から引用しようか。

『天の下の水は一つ所に集まり、かわいた地が現れよ』

と、神が言った。

原子。
原子は原子核と電子からできていて原子核の回りを電子が回っている。
原子核の構成要素である陽子の数が電子の数になり、その数によって名前や性質が変わる。
例えば陽子の数が1なら水素となり26なら鉄となる。

この世界で物質と呼ばれてるものはこれらの原子が集まってできているわけだけど、色々なものがある。
山や川があり家や都市があり、そこにはたくさんの命が存在する。
川は水と呼ばれるものでできているわけだけど、これは水素と酸素が2:1で集まってるもの。
その水が集まり陸地のくぼんだ所を流れる帯のような路になると、自分たちはそれを川と呼ぶようになる。
人間の体も6割はこの水だと言われている。
そして自分たちが好きな仏教は、人間たちが集まってこの世界に存在させているともいえる。
こう考えれば仏教も川と同じようなもの。
そこに集う水がなくなったときその川は消える。

というわけだけど。
ここからさらに思索をすすめる。

ではいったいなにが集まっているのか。
原子……それは違う、なぜなら原子核は陽子と中性子が集まったものだから。
なら陽子……それも違う、なぜなら陽子はクォークが集まったものだから。
物質を構成する最も基本的かつ要素的な粒子、現代科学ではそれを『素粒子』と呼んでいる。
上記では電子やクォークとかがそうかな。
ではこの素粒子とはなんなのか。
この思索を進めると……。
雰囲気を伝えるだけから乱暴な書き方になるけど。

世界が存在するということは何もないということ。
何もないということは世界が存在するということ。

つまりは仏教でいう色即是空、空即是色だ。
そしてそれを0の宇宙理論では『素粒子は0である』+『私は0である』という。