ある日、白隠は飯山の城下へ托鉢(たくはつ)(修行の一つ、一般から食を乞(こ)うこと)に出かけて、ある老婆の家の前に立ちます。
老婆は彼に「おことわり!」と、大声で拒絶するのです。

白隠は、師から与えられた公案(こうあん)で頭の中が一杯で、婆さんの声が耳に入りません。
なお立ちつづけています。
それを見た、かの老婆は怒って、傍(かたわ)らにあった竹ぼうきで力まかせに白隠を叩きつけます。

その瞬間、それが縁になって、白隠は、自分の目の前が、ぱあっと明るくなりました。
今まで正受から与えられていた無字の公案が、春の雪のように一時に解(と)けたのです。
ということは、それまで彼を縛りつけていた分別知が空(くう)になったということです。

「ここだ!」と叫んだ彼は、なぐられた痛みも忘れて、正受の所へころがるようにして駆け戻って来ました。
その足音を聞いた正受は、白隠が庵(いおり)の敷居をまたぐか、またがぬうちに「やったな!」と、ようやく彼の努力の一端を認めました。

その夜、白隠は、4年前に死別した母が泣いて喜ぶ夢を見たといいます。
それにはわけがあるのです。
白隠は幼少のときから、きわめて神経質な性格の持主でした。
彼は子どものとき、説教で聞いた地獄の恐ろしさを母に告げて泣いたことがあります。
「地獄とは何か、地獄の恐ろしさは、どうしたら解決できるのか?」という素朴なテーマが、青年になった今も修行中の彼の頭の中をかすめるのです。

白隠は、この問題を自問して、いつのころからか「自分の欲望から解放され、心の自由さえ得られるなら、たとい地獄があっても怖くない。
地獄図絵は、そのまま時々刻々の自分の心の景色である」と自答してきました。

しかしそれは観念的な理解で、極楽と地獄と分別する分別知です。
この程度の理解では、また何かのときに行きづまるでしょう。
なんとしても、身体で消化しなければなりません。

白隠は、正受から自分の既得の分別知や小さな体験をすべて奪い取られて、身心ともに真空状態になりました。
そこを老婆に竹ぼうきでたたかれたのが縁となって、分別知ではない、かつて体験したこともない新鮮な理解が、白隠の中に流れこんだのです。
般若の智慧とは、こうした性格のものです。