>>754
>言葉で遊んでいますが、ピント外れには変わりありません。

ピント外れは長老のほうです。
(まっ、これは長老だけに限らないが...)

まずは、
仏教においては実は、“恒常世界については認められている”
(『ウダーナ』において説かれる)ということをあなた方は知らねばなりません。
それ(恒常世界)が無為法(無為)です。
あなた方は、ただ否定しているという話(一切についての教え)しか知らないだけ。

無為とは恒常の領域であり、
そこは生じることなく滅することもなく(無常ではない)、生起しない(縁起していない)。
そこは生滅変化しない常住不変の境地であるから不死であり不滅(没することがない)。故に恒常(永遠)な世界なのです。
従って、無為に該当するものはニルヴァーナ涅槃であり、
そして、また至高の意識((唯一者である創造神)であるところのブラフマンとアートマンも同様ということになる。
ゴータマの説いた否定意とは、一切における有為(現象界)ではアートマンは認識できないということ(無為だから当然です)。
ということは、つまり、一切を超越すれば認識できることを意味する(一切を超越している領域が無為)。

 『ヘーマカよ。この世において見たり聞いたり考えたり識別した快美な事物に対する欲望や貪りを除き去ることが、
不滅のニルヴァーナの境地である。』(Sn.1086)

 『これは最上の究極であり、無上の静けさの境地である。一切の相が滅びてなくなり、没することなき解脱の境地である。』
(ウダーナヴァルガ26-29)

 『涅槃の語は仏教以前から存在したらしく、---中略---しかし涅槃と同じく生死輪廻を超えた悟りの境地として、
パラモン教では古くから不死(amrta甘露)の語があり、仏教でも不死は涅槃の同義語とされた。』
(水野弘元著『仏教要語の基礎知識』p171新版第1刷/春秋社刊)