以下〜長く続きますが、「ブラフマン」や「梵天」関連です

>>531
>パーピマンの梵衆天へのそそのかしでも分かる通り、
>仏教でも梵天特に大梵天は創造主であるのは変わりませんよ。
>ただ仏陀に説教される悟りきれてない存在ではありますが。

ハッキリいっておくと、
仏典における“ブッダと梵天との会話”などというもののすべては、
後代の弟子たちによって都合よく制作された創作物のフィクションですから。
これらの経文類と『ジャータカ』経の二つが仏典中の二大創作経典。

 何故、長老のような見解、つまり、“仏教では神(至高の創造主)を認めない”などといわれているのかというのと、それは仏教
の教義の絶対的中心が「縁起」にあるからです。すべてはこの縁起の思想と照らし合わせてそれらが正しいか否かを摂取して判断
しているのです。縁起の観点からみれば、無始の初めから永遠に存在する絶対者などというものは在り得ないと見なすから、仏教
では至高の創造主としての神)などはいないと見るのです。
 しかし、果たしてこの判断は本当に正しいものといえるのかどうか....。ただ単純にこのように教え込まれてきた素直な仏教者
たちは、自分らは間違えてる筈はないと思い込んでいるので疑うことすらもしない。ところが実際、仏教においては縁起には該当
しないものが存在しているという事実がある。