そうであるから、私たちは自分たちの立場を検査し、
イエスが教えていないことを実践するという
解離を終えなければならない。そもそも、
なぜ私たちはイエスがないと言っている世界を気にかけると
思うのだろう?それは無意識であっても、
故意の誤魔化しと煙幕なのである。世界は
『神の立ち入れない場所』ー神と神の愛に対する攻撃ー
として作られた、神を私たちから引き離す考えの投影として。
だから世界は神からの分離は事実で、今や天国の反対=
「私」が存在するという嘘の投影なのである。なぜ、
ならば、イエスが愛の反対として作られ
夢の中にしか存在しない世界を救いたいだろう?だが
彼はこの罪悪の幻想世界への【信念】から
心を救いたいのである。
自分自身のために贖罪を受け入れることは
罪悪の実在性を否定し、さらに翻って
分離の実在性を否定する。この心正しい否定は否認せず、
ただ自我の、それは実在するという主張を否定する。