確かに、明主様の教えというものはなるだけ聖なる存在に近づかせない、あるいはそういった
ことがはっきりとしないような表現がなされているということがある。

お屏風千手観音はサイズが小さいですので、これよりも小さく仏像やお軸を仏壇に祀ることは
無理でしょう。仏壇に釈尊を祀るなとあるがこれでは仏壇ではありません。
信者のお宅に行って仏壇の内部を見ると先祖代々の位牌と、お屏風観音のみが
設置されています。
これでは明主様の仕事場である、地獄内聖地に行きたいと申しているようなものです。
釈迦やキリストあるいは、仏教宗祖を揶揄する発言もある。

やはり世界救世教という船の行き先は極楽や天国ではなく、地獄内聖地であるというのが
正確なところではないでしょうか。

先達である、元総長や幹部方が地獄での深い刑場から出られない状況にある。
生涯、迷妄から悟れず、自我奔放に生きてきた必然の結果でしょう。