>>558
田川建三著『新約聖書 訳と註6 公同書簡/ヘブライ書』p278

・理にかなった(logikos)
logosの形容詞だから、普通は「理性的」と訳す。しかし日本語では「理性的」は
人間を直接形容するか、人間の質や行為を形容する場合に限って用いる語で、物事を
形容する時には用いない。それで「理にかなった」にしておいた。もつともlogosは
「理」であるから、これが直訳。
なおこの場合はこの語を「霊的な、霊の」と訳すべきだ、という珍意見が近代の聖書学
でけっこう流行りはじめた。聖書訳にも入り込んでいる。すでにルイ・スゴンがそう訳
しているから、遅くも十九世紀末近くには流行りだしていたりだろう。ローマ12:1でも
この語をそう訳す神学者が多い(この語は新約ではこの二箇所にしか出て来ない)。しかし
そちらの註でも詳しく記したように、まさかねぇ、「理性的な」という形容詞を「霊的な」
などと訳したら、正反対ではないか。つまり現代の神学的聖書学者たちはキリスト教信仰
を理性的な行為としてとらえることに何が何でも反対なので、それは神様から与えられた
有難い「霊的」な事柄なのです。と言い張りたいだけなのである