2011年(主日B年) 12月25日 主の降誕
イザ 52:7〜10  ヘブ 1:1〜6  ヨハ 1:1〜18

「(神は)この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。」(ヘブ v.2)
「御子は、 ・・・・・ 人々の罪を清められた後、天の高いところにおられる大いなる方の右の座にお着きになりました。」(ヘブ v.3)

教会の信仰は、この “成し遂げられた”(ヘブ 9:12)神の御業の上に立っており、典礼暦はこの成し遂げられた “キリストの救いの業” を、教会が繰り返し想起して祝うために、古くからその役割を果たして来ました。
イエス・キリストは復活して、今や 「天と地の一切の権能を授かって」(マタ 28:18)父なる神の右の座に着き、時が満ちて “秘められた計画” が完成する日が来るのを待っておられます(エフェ 1:9-10)。

教会がクリスマスで祝っているキリストは、このような 「やがて来られる方」(黙 1:4)であります。
夜半のミサが終わると、大晦日と正月にはもう忘れられてしまう “飼い葉桶の乳飲み子” のお伽噺のようにしか、クリスマスを理解していない “並のカトリック信者” に、それでも神は “ことばの典礼” を通して今年も語り続けておられます。

「その声は全地に響き渡り、その言葉は世界の果てにまで及ぶ。」(ロマ 10:18)

私たちは天上のキリストの “かつての受肉の出来事” を、 “将来わたしたちに現されるはずの栄光”(ロマ 8:18)の確かな根拠として、感謝と賛美のうちに今年も祝っているのです。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より