【愛】は神 ♡ イエスの【愛】
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・「愛は神 イエスの愛」に意識の中核・焦点を据えますが キリスト教信仰者のスレではありません。 ・宗教信者か、無宗教者か、どんな考え、教えを信頼しているかによらず 個の霊性の豊かさに命の輝きを感じる人達のスレです。 ・仏教系・神道系・キリスト教系・精神世界、思想系・ 聖書・仏典・歴史・文学・哲学・文化・芸術全般・ 山海の幸・自然界・料理・名言・等々、 どのようなジャンルからでも自由に語らいましょう。 ・解釈、ひらめき リゾーム発想の自由。 ・出会ってよかったモノ・コト・自然・教えなど、 個々人の晴れの告白話もOK。 ・宗教の疑問点・問題点・批判も<愛(神)にあって> 視野拡長の建設的な現在進行形の話はかまいません。 下記のサイトの後半部分に、『喜びから人生を生きる!(臨死体験が教えてくれたこと)』アニータ・ムアジャーニ著の抜粋を入れました。 4年越えで絶命寸前までいった末期ガン(ステージ4B)・多臓器不全からの臨死体験、 そして意識復帰と数日での大きなガン部位の消滅・臓器回復という奇跡的体験(何人もの癌専門医が詳細に病院での病状データを検証・確認し驚く)をした女性が、 臨死時の具体的な詳細を語った貴重な本です。 この本もベストセラーであり、かつ読んだ人全体から相当に高評価されている本です。 《10分ほどで読んで、分かる『神との対話』》 https://conversationswithgod.wixsite.com/kamitonotaiwa-matome P284〜 訳者あとがき 臨死体験の本は数多く出版されていますが、本書が際立っている理由は、臨死体験後、末期癌から奇跡的治癒を遂げたことにあると言えるでしょう。 死を迎えようとした時、アニータはほとんど全身を癌にむしばまれていましたが、臨死体験後、 すべての癌が短期間のうちに一つ残らず消えてしまったのです。 この事実には、アニータが自らの体験を投稿した臨死体験研究会(NDERF)の代表者である癌専門医も非常にまれなケースだと注目しました。 さらに、もう一人のアメリカ人癌専門医コー医師も、この異例の回復ぶりに大いに興味を持って、 アニータと彼女の主治医に会うため、アメリカから香港へ訪れたほどでした。アニータのケースは、 癌専門医を対象としたコンファレンスで紹介されるなど、医学界でも注目を浴びたのです。 このような奇跡的治癒と医師による調査結果は、彼女の臨死体験が真実であることを示す証拠にほかなりません。 P19〜 「心臓はまだ動いていますが、奥様の意識はもうありません。助けるには手遅れです」と、医師は夫のダニーに告げました。 その時、自分は死ぬのだと悟りました。「ああ…… 私は死ぬんだ。死ぬって、こんな感じなの? これまで想像していたのとは、まったく違うわ。とても安らかで、穏やかな気分…… やっとやっと癒された気がする!」 私は、たとえ身体の機能が止まっても、生命という大きなタペストリーの中で、あらゆるものが完璧であり続けると理解したのです。 すなわち、それは、人は死なないということでした。 愛とは、苦境にある相手を黙って助ける「行為」。 口にすべき言葉ではない。 >>147 誰ですか^^ <下から目線のチンピラ言いがかりが傲慢なので、上からに見える件> 河童さんは、ずれているのよ。他の人は知りませんが、 私はそのようなところにいませんから。 河童さんだけでなく上からより下から目線で言っているのよね。 いい意味で上からの人というのは、自分の問題と他者の問題の 混乱がないし、他者に対して切り取った狭窄視野はありませんからね。 河童さんというより、そういう目線を持つ人を「チンピラのいいがかり」といいます。 下からチンピラ言いがかりをつけてる目線なのだけれど、 もともと性質が自己中で経験も我儘な閉じの偏りの中で、積み重ねられていて、 小さいころからの環境、遺伝子要因なのか、分かりませんが。 年をすでに取っていると、固着化していてどうしようもありません。 余程衝撃的な事に出会わない限り。 保守的で度胸はありませんから、問題を他に逸らします。 そういった人の宗教は、その悪癖を虎の威をかるキツネのような、 外面だけで中身がない状態を強化させる働きがあるようです。 河童さんは特に異性は苦手だと思います。 それ以外は、牛のように反芻しながらの一歩、一歩があります。 自分で衣食住を確保しなければならない、男性の社会性で鍛えられる 側面を感じます。 男性は、親や旦那に基本的な部分を保護されていれば、 それがどれほどの事なのか女性のように気づけないということがないからです。 男が保護下にあるような生活をすると非難があり、 女が平気であっても、男は苦悶があります。 しかし、それが男性を鍛え上げていきますし、大人にしますし、 社会性の成熟に向かわせます。 父が、女性は男と対等に社会に出てやり抜こうとすれば、 男の10倍の力がいる、まだまだ男社会であるからだと言いました。 なので父は、母の能力が折れないように、自分のできる あらゆることをして支えました。愛しているとはこうなのでしょう。 ですから、能力に応じてで良いから、自分のできることをして 互いに生活を支え合えないさいと言われました。 自分がしているのではなく、他がしてくれているというのが、 一方的な甘えの保護に居るとわからなくなり、 逆に目線が傲慢で、表層的で、言いがかりになるということでしょう。 河童さんは、得意な事がたくさんありそうで、そのような話の時は なるほど、と思います。 女性に対しては、個々人が良く見えていないで、公式にはめて 解釈しようとされています。 バランスや客観性をもつ平等、共感というのは、そういう事ではありません。 そんな事よりも、対話するのであれば、その人としっかり向き合って 丁寧であればいいと私は思います。 >>149 検索して、少し調べました。 なかなかいいじゃないですか、「臨死体験」もさることながら、 「神との対話」は。 ありがとうございます。 >>150 おはようございます。 それって、霊界の与作くんからのワンフレーズですよね(^o^)丿 キスをするタイミングは、 「お互いの部屋で二人っきりでいる時」や「帰り道」です。 初デートであっても何気ない瞬間に自然にキスをすることができるチャンスが隠れているもの。 キスをする上で大切なのは、タイミングを間違えないことです。 デートで訪れた夜景やイルミネーションを眺めているとき、 電気を消してキャンドルの灯りだけを付けた部屋など ロマンティックな雰囲気になったらキスするベストなタイミングです。 まずは、彼女の肩を抱くなどしてスキンシップをとったあとにキスをすると、 彼女もビックリすることなく良い雰囲気を保ったままキスできます。 何かの集まりを抜け出して二人きりになったタイミングや、 デート先で観覧車やカラオケなど個室で二人きりになったタイミングにキスする。 人に見られない可能性はゼロではないため、 誰か来るんじゃないかというドキドキ感のなかでのキスは スリルがあって盛り上がります。 デートでバイバイするタイミングは名残惜しいものです。 キスなしでデートが終わるのは女性だって物足りない気持ちになります。 デート中に何度もあったはずのキスのタイミングを逃した男性は、 帰り際のバイバイするタイミングだけは逃さないようにしましょう。 彼女の頬にそっと手をあて、キスをしましょう。 彼女はあなたの手の温もりを感じることができます。 手で顔の位置を把握でき、 唇の位置もブレることなくキスができます。 顎に手をやりながらのキスは、ワイルドさを感じさせます。 壁に空いた方の手をつけたら、より効果的です。 手の位置を腰に置く。 彼女からあなたの首に手をかければ、盛り上がっている証拠。 スタンダードとはいえ、唇だけではなく体も密着できるキスの仕方です。 抱きしめる! 一番密着度が高いキスの仕方がこちら。 あなたに包まれることで彼女も愛されていることを実感できます。 ラブラブなカップルならではの幸せいっぱいのキスです。 「般若心経は、心のとらわれを取り、愛そのものになる「本当の生き方」を説いている。」 と書いている本がありました。 ということで、愛をテーマに語りたいと思います。 「愛とは何ですか」と問うならば、 「恋愛」 「人を好きになること」 「慕うこと」 「かわいがること」 「人を思いやること」 「人に親切にすること」 「愛とは人を思いやることだ」 などの言葉が返ってきます。 キリスト教の「愛」と比べられるものは、 仏教においては、「慈悲」です。 仏教の「慈悲」は、 苦を抜き楽を与えること≠ナある。 としています。 「慈悲」とは、他の人の不幸を抜き去り、それに替えて幸福を与えることです。 観音様は、この世での悩みや苦しみを救い愛と幸福をもたらして下さる仏様です。 雨の日は、あじさい寺に行く。 あじさいの花言葉は「移り気」。 見頃のあじさいを鎌倉で愛でる。 梅雨ならではの風物詩です。 バカボンのパパよりメッセージです。 わしは バカボンのパパなのだ この世はむずかしいのだ わしの思うようにはならないのだ でも わしは大丈夫なのだ わしはいつでもわしなので 大丈夫なのだ これでいいのだと言っているから 大丈夫なのだ あなたも あなたで それでいいのだ それでいいのだ それでいいのだ わしはリタイヤしたのだ 全ての心配から リタイヤしたのだ だからわしは 疲れないのだ どうだ これでいいのだ これでいいのだ やっぱりこれでいいのだ 『観音経』は、 法華経のなかの「観世音菩薩普門品第二十五」という一章です。 ここでは、 観世音菩薩が、 私たちが人生で遭遇するあらゆる苦難に際し、 観世音菩薩の偉大なる慈悲の力を信じ、 その名前を唱えれば、 必ずや観音がその音を聞いて救ってくれると説いています。 >>173 2週間も放置しておくほうが悪いんちゃいます❔ バルタンさん、ようこそ👏 古代ギリシャ人は、 恋愛関係の初期で感じる強い性的な感情を 「エロス」 と呼んでいた。 そして、一年以上経ちこの強い性欲が薄れたからといって愛は終わるわけではないということも知っていた。 感情はやがて「フィリア」と呼ばれる感情へと変化していく。 「アガペー」。 慈愛という意味。 悪い行ないや失敗をした人に対しても、情を感じる場合にも用いられた。 強さではなく、弱さを愛する時にあるもの。 長所を称えるのではなく、弱さや不完全さに対して 同情や寛大な心になることである。 『カーマスートラ』 「カーマ」は愛や欲望、 「スートラ」は教えを意味します。 『アナンガ・ランガ』『ラティラハスヤ』と並ぶインド3大性典の1つです。 紀元前1〜6世紀頃の論書を 要約、編集したものと言われ、 恐らく文明人が実践したセックスに関する世界最古の専門書です。 カーマは ダルマ(正義、美徳、聖法)、 アルタ(現世の富、財産)とともに 古来インドにおける人生の三大目的(三つを総称してトリヴァルガという)とされてきました。 編集者ヴァーツヤーヤナは、 カーマの研究の重要性を説き、 本書の最後には、 情欲を目的としたものではないことをことわっています。 『カーマ・スートラ』は、 7部35章に渡って書かれております。 導入部(全四章) 一般的な愛について 性交について(全十章) 接吻、前戯、 性的絶頂、 体位のリスト、 オーラルセックス、 変態性欲、三人婚 妻を得るには(全五章) 求愛 と 結婚 妻について(全二章) 妻の適切な行為 人妻について(全六章) 主に婦女誘惑の方法 娼婦について(全六章) 他人を惹き付けるには(全二章) カーマスートラの中で 人生というものは宗教的、性的、芸術的経験に関心を持たなくてはならないと述べています。 カーマ・スートラはただ単に性愛の技術のみを扱ったものではなく、 人間同士が出会い、互いに言葉を交わし、魅かれ合い、愛し合うための手引書なのです。 首尾よく女を手に入れる方法、 貞淑な女の生き方、 女の心理を読む方法、 身振りによる愛情表現について、 当時の裕福な都市生活者(ナーガラーカ)の性の対象が、 妻、他人の妻、遊女と分類され、 他人の妻を奪う機略縦横で巧妙なやりとりも書かれています。 とはいえ、 男性はよき夫となり、 女性はよき妻となり、 お互いを愛し尊重し良いセックスをすることで人生を豊かにする という信念に貫かれている幸福な人生のためには、 幸福なセックスが必要だ! とする、極めて真剣に愛を語った本なのであります。 カーマ・スートラの愛に関する64芸を学ぶことは、 例え遊女だったとしても 知識で王女と同等に扱ってもらう事も可能になると説いています。 男性は性交によって愛している事を実感して、 女性は性交によって愛されている事を実感したい生き物である。 男性が本気の女性と性交をする場合というのは、 愛している事を確かめる為にするので、 女性を先に満足させろと書いてあります。 例えば、 自分から離れた男にさりげなく視線を送る。 言い訳をしながら魅惑のボディを見せつける。 彼からの贈り物をつねに身に付ける。 ノーメイクで彼と逢ってはいけない。 など、女性の愛情表現テクニックが書かれています。 密教の理趣経 妙適清浄の句、これ菩薩の位なり 理趣経(般若波羅蜜多理趣経) ?? これ、空海が没頭して築き上げた密教の根本経典。 「妙適」とは唐の言葉で、 男女が結合して恍惚の境地に入ること を言う。 つまり、男女結合の境地は本質として清浄であり、 とりもなおさず、菩薩の境地である。 むしろ人間の生のままで、というより、 なまであればこそ、例えば性欲をもったままで、 というより性欲があればこそ即身で成仏でき、 しかも成仏したままで浮世で暮らすことができる。 「自分の皮膚をもって異性の粘膜に接したときに、閃々として彩光の輝く生命の時間を知る。 その時間が去ったときに不意に暗転し、底のない井戸に墜落していくような暗黒の感覚。」 その絶対的矛盾世界の合一のなかにこそ、宇宙の秘密の呼吸がある。 つまり、正反対の事柄も一緒になると宇宙の神秘となる。 プリティーのスレか・・・。 ばるたん、おす。 聖霊は深いディープな感触が来るのだよ。 真言にも、それが、あることはあるが・・・・・。パスポートがないとデンジャーなのだよ、経験上笑。 真言は基本空間制圧の感触がある。全肯定の世界 聖霊は、闇の中の光であり、自らの言葉、行いを清さによって統御する(メソジスト派、ペンテコステ派解釈) メソジスト派、ペンテコステ派解釈の聖霊運用の世界、生活がリアル化しつつある・・・・・。 >>189 >その絶対的矛盾世界の合一のなかにこそ、宇宙の秘密の呼吸がある。 つまり、正反対の事柄も一緒になると宇宙の神秘となる。 残念ながら・・・・・・・・・・。 真言は南方仏教の先祖返り、一切空の退歩要素がある。 物資の構成要素がよみがえり、それを六大という、(即身成仏義、参照) その六大の感触がキーである。とだけ言っておこう。 矛盾の合一ではなく、 矛盾の分解、物質の構成要素で・・・・・・。 ゆえに、空海は六大無碍、重々帝網・・・といったのだ。 はじめに昼来たり ついで夜訪なふ 闇ののちに 光射す ひとは言ふ、その不和を 整へ得るは、灰いろを 解くジェダイの 透徹の眼のみ、と 執着は禁じられている。 所有欲も禁じられている。 でも、無償の愛である『思いやり』は ジェダイの精神なんだ。 May the Force be with you! フォースと共にあらんことを! 私のお薦めの出会いのシチュエーションはBARです。 社会人ともなれば、晩酌が楽しみ♪なんていう人も多いはず。 男性に限らず、女性も毎晩お酒を飲む人、いますよね? 家で一人で晩酌をしているあなたは、今すぐBARに行きましょう! 家で飲んでいては、出会いのチャンスなどあるわけない! 一人でBARのカウンターで飲んでいれば、同じお一人様からお声がけがあるかもしれませんよ??(^-^) この宇宙は、 地・水・火・風・空・識 の六大の要素からなり、 宇宙のあらゆる現象は大日如来の顕われである。 その中で、識の心の働きは、大日如来の心である。 私たちの心の内にある仏を念じれば、 大日如来と一体になれる。 これが空海の説く「即身成仏」です。 宇宙の愛は無条件で無限の愛。 太陽は宇宙の分身ですから、 宇宙の一つの姿を表わしています。 地球の生物が生きていけるのは 太陽の恵みによるところが、 非常に大きいのです。 地球の地熱と太陽から送られて来る エネルギーによって植物が育ち、 それを食べて動物が育ちます。 その植物と動物を食べることで 人間が生きていられるのです。 他のスレでお見かけいたしました。 バルタンさんなのですか、絵文字から。 詩的な感性をお持ちのようで、楽しく読ませていただいています。 どうぞ宜しく。 プリティさん、お邪魔してますm(__)m 愛について、語りましょう。 人生で最も幸せを感じる瞬間というのは、他人から「愛されている」もしくは、「自分自身を愛すること」を実感できるとき。もしくは、自分と同じように誰かを愛するとき。 (ヴィクトル・ユーゴー 詩人) 真実の愛って、幽霊みたい。 みんな真実の愛について語るのに、 見たことがある人はほとんどいない。 フランソワ・ド・ラ・ロシュフコー この世を動かしているものは愛である。 ルイス・キャロル 愛とかけまして、 寒い日に食べる鍋とときます。 どちらもあつあつがいいですね。 シェイクスピアより 心のそこから好きだった。 好きという気持ちでいっぱいだった。 だからいま、私の心はなくなった。 私の心は空っぽになった。 (から騒ぎ) 誰にも言わず、誰にも相談せず、誰にも見せびらかさず、 密やかに喜び、悩み、落ち込む。 静かに耐え続け、悲しく微笑む。 それが本当の恋じゃない? (十二夜) ひとりのかよわい娘の中で分別と情熱が格闘している場合、 われわれの経験からいって、 9対1の割合で情熱が勝ちをおさめるな。 嫉妬は自分で生まれて自分で育つ化け物でございますよ。 愛は寛容であり、親切です。 また人をねたみません。 愛は自慢せず、高慢になりません。 礼儀に反することをせず、 自分の利益を求めず、 怒らず、人のした悪を思わず、 不正を喜ばずに真理を喜びます。 すべてをがまんし、 すべてを信じ、 すべてを期待し、 すべてを耐え忍びます。 愛は決して絶えることがありません。 You have bewitched me,body and soul, and・・・I love you. (君に魅了されてしまった、心も体も…そして愛してる。) Fall in love whenever you can. (恋はできる時にしておきなさい) The best thing you can do is find a person who loves you for exactly what you are. (あなたが出来る最善のことは、ありのままのあなたを愛してくれる人を見つけること) 男女が惹かれ合うことが恋です。 それまでは恋心を感じていなかった人や、 まだ、それほどよく知らない人でも、 恋い焦がれるようになるというのが恋です。 好きになってしまったら、 その相手は他の人と置き換え不能な、 スペシャルな存在になります。 そして恋が叶い2人が一緒にいる時間が深まると、 それがやがて愛に変わるといいます。 いつぐらいから変化していくのでしょうか。 それは必ず起こることなのでしょうか。 恋心から始まって、時間と共通体験を通して得た愛という感情。 では、それが変化する瞬間に気づくことはできるでしょうか。 恋は、ある瞬間に生じることがありますが、 愛は、時間をかけて育てていくものなのだと考えられます。 六月の雨 中原中也 またひとしきり 午前の雨が 菖蒲のいろの みどりいろ 眼(まなこ)うるめる 面長き女(ひと) たちあらわれて 消えてゆく たちあらわれて 消えゆけば うれいに沈み しとしとと 畠の上に 落ちている はてしもしれず 落ちている お太鼓叩いて 笛吹いて あどけない子が 日曜日 畳の上で 遊びます お太鼓叩いて 笛吹いて 遊んでいれば 雨が降る 櫺子(れんじ)の外に 雨が降る 「頑是ない歌」 中原中也 思えば遠く来たもんだ 十二の冬のあの夕べ 港の空に鳴り響いた 汽笛の湯気は今いずこ 雲の間に月はいて それな汽笛を耳にすると 竦然(しょうぜん)として身をすくめ 月はその時(とき)空にいた それから何年経ったことか 汽笛の湯気を茫然と 眼で追いかなしくなっていた あの頃の俺はいまいずこ 今では女房子供持ち 思えば遠く来たもんだ 此の先まだまだ何時(いつ)までか 生きてゆくのであろうけど 生きてゆくのであろうけど 遠く経て来た日や夜の あんまりこんなにこいしゅては なんだか自信が持てないよ さりとて生きてゆく限り 結局我ン張る僕の性質(さが) と思えばなんだか我ながら いたわしいよなものですよ 考えてみればそれはまあ 結局我ン張るのだとして 昔恋しい時もあり そして どうにかやってはゆくのでしょう 考えてみれば簡単だ 畢竟意志(ひっきょういし)の問題だ なんとかやるより仕方もない やりさえすればよいのだと 思うけれどもそれもそれ 十二の冬のあの夕べ 港の空に鳴り響いた 汽笛の湯気は今いずこ 心配ないからね 君の想いが 誰かにとどく明日がきっとある どんなに困難でくじけそうでも 信じることを決してやめないで Carry on carry out 傷つけ傷ついて 愛する切なさに すこしつかれても Oh・・・ Oh・・・ もう一度夢見よう 愛されるよろこびを知っているのなら Oh 夜空に流星をみつけるたびに 願いをたくし ぼくらはやってきた どんなに困難でくじけそうでも 信じることさ 必ず最後に愛は勝つ 愛の甘いなごりに あなたはまどろむ 天使のようなその微笑みに 時は立ち止まる 窓に朝の光が やさしくゆれ動き あなたの髪を ためらいがちに染めてゆく 美しい人生よ かぎりない喜びよ この胸のときめきをあなたに この世に大切なのは 愛し合うことだけと あなたは教えてくれる ひとりでも私は 生きられるけど でもだれかとならば 人生ははるかに違う 強気で強気で生きてる人ほど些細な寂しさで??つまずくものよ 呼んでも 呼んでも とどかぬ恋でも むなしい恋なんて ある筈がないと言ってよ 待っても 待っても 戻らぬ恋でも 無駄な月日なんてないと言ってよ めぐり来る季節をかぞえながら めぐり逢う命をかぞえながら 畏れながら憎みながら いつか愛を知ってゆく 泣きながら 生まれる子供のように もいちど生きるため 泣いて来たのね 君の心がわかると たやすく誓える男に なぜ女はついてゆくのだろう そして泣くのだろう 君がすさんだ瞳で強がるのが とても痛い 憎むことで いつまでもあいつに縛られないで ここにいるよ 愛はまだ ここにいるよ うつむかないで 空と君とのあいだには 今日も冷たい雨が降る 君が笑ってくれるなら 僕は悪にでもなる プラスマイナス数えながら 君をみつめるわけじゃない いつか実りをもらうため 君を大事にするわけじゃない 惚れたほうが損になるなんて 取り引きや投資じゃあるまいし 惚れて嬉しい 単に嬉しい 同じ時代に生まれて嬉しい 愛さずにいられない馬鹿もいる 悩まないで受けとればいいんだよ 愛さずにいられない馬鹿もいる 受けとったと答えてほしいだけさ I Love You,答えてくれ I Love You,答えてくれ I Love You,答えてくれ I Love You I love you 今だけは悲しい歌 聞きたくないよ I love you 逃れ逃れ 辿り着いたこの部屋 何もかも許された 恋じゃないから 二人はまるで捨て猫みたい この部屋は 落葉に埋もれた空き箱みたい だからおまえは 小猫の様な泣き声で きしむベッドの上で 優しさを持ちより きつく躰 抱きしめあえば それからまた二人は 目を閉じるよ 悲しい歌に 愛がしらけてしまわぬ様に 唇濡らす涙の糸を 夕陽が染めてゆく 愛しき女(ひと)よ 笑ってごらん 悲しみは今、遠くに消えた 木枯しの舞う夜は 僕の胸でおやすみ 凍りつく指先に 息をかけてあげよう 振り向くな!ためらうな! 愛を信じて 風の吹く青春を走れ 炎のように 愛とは何か それは喜ばれるとうれしいというエネルギー 喜ばれたいというエネルギー(=欲求) 感謝のエネルギー 役に立ちたいというエネルギー 幸福になってほしいという思い(エネルギー) 恋は相手の長所に惹かれる事 愛は相手の短所を受入れる事 愛は最高の奉仕だ。微塵も、自分の満足を思ってはいけない。 私はこれまでの人生でずっと 「私は愛されない人間なんだ」 と思ってきたの。 でも私の人生には それよりもっと悪いことがあったと、 はじめて気がついたの。 私自身、心から人を 愛そうとしなかったのよ。 マリリン・モンロー 愛はいつでも贈り物としてあなたのもとにやってくる。 突然、何の前ぶれもなしに。 私たちは愛されたいと思って愛するのではない。 愛したいから愛するのだ。 恋愛が与えうる最大の幸福は、愛する人の手をはじめて握ることである。 あなたと一緒にいられること それ以外の何を 人は“幸せ”と呼ぶのだろう? 愛とは相手に変わることを要求せず、 相手をありのままに受け入れることだ。 「愛は寛容であり、親切です。 また人をねたみません。 愛は自慢せず、高慢になりません。 礼儀に反することをせず、 自分の利益を求めず、 怒らず、人のした悪を思わず、 不正を喜ばずに真理を喜びます。 すべてをがまんし、すべてを信じ、 すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。 愛は決して絶えることがありません。」(第1コリント13章4-8節) アガペーは、キリスト教における神学概念で、神の人間に対する「愛」を表す。 神は無限の愛(アガペー)において人間を愛しているのであり、 神が人間を愛することで、神は何かの利益を得る訳ではないので、「無償の愛」とされる。 また、それは不変の愛なので、 旧約聖書には、神の「不朽の愛」として出てくる。 新約聖書では、キリストの十字架上での死において顕された愛として知られる。 またキリスト教においては、 神が人間をアガペーの愛において愛するように、 人間同士は、互いに愛し合うことが望ましいとされており、 キリスト教徒のあいだでの相互の愛もまた、広い意味でアガペーの愛である(マタイ福音書22、37 - 40)。 ただし、この神の無限の愛としてのアガペーは神学概念に当てられる言葉であり、 新約聖書の著者がアガペーを一様にこのような意味で用いていたかは本文解釈上の議論がある。 神が人間を無償において、限りなく愛していることは、 『新約聖書・福音書』において、イエズスが弟子たちや人々に述べ伝えていることである。 『マタイ福音書』にある著名な「山上の垂訓」においても、 「神は、善なる者にも、悪なる者にも、変わることなく、太陽の光の恵みを与えてくださる」というように、 人間をその行為や社会的地位や身分や性別などによって区別せず、恵みを与えてくれる存在として宣明されている。 また同じ「山上の垂訓」において、イエズスは、 知人や友人、家族などを愛するだけでは十分ではない。 そういうことは異邦人や取税人もしている。 わたしの教えに従う者は、みずからの「敵」さえも愛さねばならないとして、単なる「隣人愛」以上の普遍的な人間愛を語っており、 このような愛を通じて、「神の子」となりえるのであるとしている。 このことは、「良きサマリア人」の譬えのなかでも示唆されている。 ここでイエズスが述べている「愛する」という言葉は、ギリシア語原文では??αγαπειν??という動詞であり、この動詞の名詞形が「アガペー」である。 ギリシア語で愛のことを意味する代表的な言葉であるエロス(eros)は、 ギリシア神話において恋愛を司る神であるエロースに由来する言葉です。 それは、一般的には、男女の間に生じる愛の感情のことを表す概念として解釈されることになります。 しかし、 こうしたエロスの概念は、哲学的・神学的文脈においては、 より崇高で形而上学的な意味(現実の世界を超越した意味)へと高められていくことになります。 それは、特に、アガペー(agape)と呼ばれる神の無限なる無償の愛との対比において際立ってくると考えられることになります。 アガペーとは、 全能で完全な存在である神から、 有限で不完全な存在である人間へと向けられる愛のことを示す概念です。 神から人間へと向けられる愛としてのアガペーは、 神が全能な存在である以上、その能力がなし得ることにはいかなる限界も存在しません。 それは無限なる愛であると考えられることになります。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.0 2024/04/24 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる