2002年(主日A年) 11月24日 王であるキリスト
エゼ 34:11〜17  Iコリ 15:20〜28  マタ 25:31〜46

従来カトリック教会の多くの信者たちの意識の中で、“信徒の養成” の軽視と、誤った “聖職者主義” がかなり強かったことが、しばしば言われて来ました。

使徒たちと初代教会の信徒たちは、それぞれの賜物や役割に違いはあっても、共に一つのキリストの福音によって、共に一つの教会を造り上げ、共にキリストの再臨を待っていました。
この “共に歩む召し” のことを、近年は “使徒職” という言葉で呼んでいます。
教会憲章 32 は次のように述べています。
「キリストのからだの建設に関しては、すべての信者に共通の尊厳と働きの真実の平等性がある。 主は聖職者と、神の民の残りの者との間に区別を制定したが、牧者とその他の信者は共通の必然関係をもって互いに結ばれている ・・・・」
また 信徒使徒職に関する教令 2 には次のように記されています。
「(教会の)この目的に向けられた神秘体の活動はすべて “使徒職” と呼ばれるのであって、教会はこの使徒職を全構成員を通じて、それぞれ異なった方法によって実行する。
事実、キリスト者としての召し出しは、その本性上、使徒職への召し出しである。」