一番正しい究極の教え
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
人は、
「何の罪も無い人が何故こんな目に?」
などのように考えたりします。
ところが実際にはそこに理由はありません。
ヨブがどんなに善人であっても災いは降りかかります。
そこに理由は無いのです。
ところが人はどうしても「何故?」と問います。
そして、試練とか前世などを持ち出して納得を得ます。
(試練も前世も私の中の根拠でしかありません。
つまり相対的なものです。)
自我は納得を得たいのですね。
ところが疑問を作り出さなければ納得も要りません。
疑問は作り事なんです。
問題は、「何故?」と問うことなく「分からない」というそのままの中に安住できるかどうかなんです。
安住する人の「何故?」と安住できない人の「何故?」は、
まったくの別物なんです。 「神との対話」の中で語られている内容に非常に参考になると思いましたので、
補足・参考資料として追加しました。
「神との対話」の内容の、「医学的奇跡・体験を通した証拠・証明」版とも言えると思います。
※補足、参考資料。
『喜びから人生を生きる!(臨死体験が教えてくれたこと)』アニータ・ムアジャーニ著
4年越えで絶命寸前までいった末期ガン(ステージ4B)・多臓器不全からの臨死体験、
そして意識復帰と数日での大きなガン部位の消滅・臓器回復という奇跡的体験(何人もの癌専門医が詳細に病院での病状データを検証・確認し驚く)をした女性が、
臨死時の具体的な詳細を語った貴重な本です。
この本もベストセラーであり、かつ読んだ人全体から相当に高評価されている本です。
ちなみに「神との対話」の中で神が語っている内容、「宇宙との一体感、完璧性」や、
『神との対話2』
◆死の瞬間にあなたは、かつて味わった最大の自由、最大の平安、最大の喜び、最大の愛を知るだろう。
P84
『神へ帰る』
◆死とは、人が力強くなる時だ。死というプロセスを通じて、その人の在り方が拡大されるのだから。
P336
◆全く不充分だが、なんとか言葉にしようとすれば、温かく包まれ、深く慰められ、大切に慈しまれ、心底から評価され、
真に貴ばれ、優しく育まれ、底まで理解され、完全に許され、まるごと抱きとられ、長く待ち望まれ、明るく歓迎され、
全面的に称えられ、喜びのうちに寿(ことほ)がれ、絶対的に守られ、瞬時に完成され、無条件に愛されている。
これらが一つになったものと言おうか。
P359
◆まず、あなたは自分が身体ではないことに気付く。(第一段階)
それから自分の信念に基づいて経験すると予想した事を経験する。その経験は好きなだけ楽しんでいられる。(第二段階)
それから死の第三段階へ進む。この最後の段階で、あなたは「エッセンスとの全面的な溶け合い」を経験し、
その経験から分かれて現れ、終わったばかりの物理的な人生を振り返り、
あなたの言い方で言うなら「先(霊的世界)へ進むか、(物質的世界へ)戻るか」を決定する。
P437
以上の神の言葉そのものの体験話だと思いました。
抜粋の中の一部です。この一部だけでも、「神との対話」への大きな確信と、「死」への安心に繋がると思います。
P1〜
まえがき ウエイン・W・ダイアー博士
アニータは、四年以上にわたる癌との闘いで、死に直面しました。つまり、死の瀬戸際まで行き、それを越えて、
死の家の中へと入って行ったのです。彼女は、その体験のすべてを詳細にこの本で述べています。
自分が抱いている信念、特に来世と呼ばれるものについて、もう一度考え直すくらいの気持ちでじっくりと読んでみてください。
彼女は、死の淵から戻ることを許されただけでなく、物質世界を超えた向こう側の世界がどのようなものなのか、
そして、それよりもっと重要なことですが、そこではどのように感じられるのかについて、私たちみんなに伝えることを許されました。
この本を読めるあなたはとても幸運です。なぜなら、癌とのすさまじい闘いや神の癒しを体験した旅の中で、
アニータが悟りえたあらゆることを自らの人生に生かせるのですから。
P284〜
訳者あとがき
臨死体験の本は数多く出版されていますが、本書が際立っている理由は、臨死体験後、末期癌から奇跡的治癒を遂げたことにあると言えるでしょう。
死を迎えようとした時、アニータはほとんど全身を癌にむしばまれていましたが、臨死体験後、
すべての癌が短期間のうちに一つ残らず消えてしまったのです。
この事実には、アニータが自らの体験を投稿した臨死体験研究会(NDERF)の代表者である癌専門医も非常にまれなケースだと注目しました。
さらに、もう一人のアメリカ人癌専門医コー医師も、この異例の回復ぶりに大いに興味を持って、
アニータと彼女の主治医に会うため、アメリカから香港へ訪れたほどでした。アニータのケースは、
癌専門医を対象としたコンファレンスで紹介されるなど、医学界でも注目を浴びたのです。
このような奇跡的治癒と医師による調査結果は、彼女の臨死体験が真実であることを示す証拠にほかなりません。 P19〜
「心臓はまだ動いていますが、奥様の意識はもうありません。助けるには手遅れです」と、医師は夫のダニーに告げました。
「医師は誰のことを話しているんだろう? 私は、こんなに最高の気分なのに。
ママやダニーは、どうしてあんなにおびえて心配そうなの? ママ、どうか泣かないで。何があったの? 私のせいで泣いているの?
お願い、泣かないでちょうだい。私は、大丈夫よ!」 大きな声で言っているつもりでしたが、声になりになりませんでした。
母を抱きしめ、慰めて、私は大丈夫だと言いたかったのですが、なぜそれができないのか、まったく理解できませんでした。
どうして身体が言うことをきかないの? どうして死んだみたいに横たわっているの? 愛するダニーや母を抱きしめて、
私はもう大丈夫で、痛みもまったくないと安心させたいのに……。
「ダニー、見てちょうだい。もう車椅子なしで動き回れるのよ。最高の気分!もう酸素ボンベもいらないわ。
呼吸も苦しくないし、皮膚病変も消えている。傷口はじくじくしてないし、痛くもないわ。四年間苦しかったけれど、
やっと元気になったのよ」私はただ、この上ない喜びに包まれていました。私の身体をむしばんでいた癌の痛みから、
やっと解放されたのです。
その時、自分は死ぬのだと悟りました。「ああ…… 私は死ぬんだ。死ぬって、こんな感じなの?
これまで想像していたのとは、まったく違うわ。とても安らかで、穏やかな気分…… やっとやっと癒された気がする!」
私は、たとえ身体の機能が止まっても、生命という大きなタペストリーの中で、あらゆるものが完璧であり続けると理解したのです。
すなわち、それは、人は死なないということでした。
苦しみや痛み、悲しみなどはすべて消えていました。ものすごい解放感で、こんな気分になったのは生まれて初めてでした。
純粋な、無条件の愛としか言い表せないものに包まれている感じがしました。
私は、この愛のエネルギーにどっぷりと浸かり、元気を取り戻しました。そして、この地こそ自分のための場所だと感じました。
何年にもわたる闘いや苦しみや不安や恐れのあとで、ようやく本当の我が家にたどり着いたのです。
「残念ですが、もう奥様のためにできることは何もありません。奥様の臓器はすでに機能を停止しました。
レモン大の癌が、頭蓋骨から下腹部まで、すべてのリンパ系組織に広がっています。肺だけでなく、脳も液体でいっぱいです。
癌による皮膚病変も見られます。おそらく今晩が山でしょう」 医師はダニーに、そう告げました。
P104〜
外見上は、昏睡状態に見えていました。
私は、どんどん外へと広がっていき、周囲の物理的環境から引き離されていくのを感じました。
そこにはもはや空間や時間の拘束はなく、どんどん拡大し続けて、より大きな意識と一つになっていくようでした。
身体を持っていた時には体験したことのない、自由や解放感がありました。それは、歓喜や幸福が散りばめられた、
至福感としか言いようのないものでした。
ともあれ、長い身体的闘いからやっと解放された私は、この自由というすばらしい体験を楽しんでいました。
それは、身体的にどこか別の場所へ行ったというよりも、むしろ目覚めたような感覚でした。
P106〜
驚いたことに、私は十年前に亡くなった父の存在に気づきました。それは、私に信じられないほどの安心感を与えてくれました。
「パパ、ここにいたの! 信じられないわ」 実際には、そう言ったのではなく、ただ思っただけでした。
そのような感情を抱いたというほうが正しいかもしれません。その世界では、感情が唯一の対話方法だったのです。
「そうだよ、アニータ。おまえや家族のために、いつもここにいたんだよ」 父は私にそう伝えました。
これも言葉ではなく、感情によるものでしたが、私にははっきりとわかりました。
それから、三年前に癌で亡くなった親友ソニにも気づきました。父やソニの存在が優しく抱きしめるように私を包み込んだ時、
ワクワクした高揚感に満たされ、心から楽になったのです。彼らは、私が気づくずっと前からそばにいてくれ、
病気の最中も見守っていてくれたのだと わかりました。さらに、他の存在にも気づきました。
それが誰なのかわかりませんでしたが、彼らが私のことをとても愛し、守ってくれていることがわかりました。
彼らはいつもそこにいて、私が気づいていない時でさえ、大きな愛で包んでくれていたのです。
P107〜
私は身体の五感ではなく、まるで新しい感覚を手に入れたように、限界のない知覚を使っていました。
それは、通常の能力よりもはるかに鋭く、三百六十度が見渡せて、自分の周囲を完全に認識できました。
驚嘆すべきことのようですが、それが普通に感じられたのです。もはや身体の中にいることのほうが、
制限された特殊な状態であるように感じました。
P130〜
昏睡状態から目覚めて二日も経たないうちに、医師は、奇跡的に臓器の機能が回復し、
毒素で晴れ上がっていたのもかなりおさまってきたと告げました。
別の癌専門医が定期健診を行った時、彼は驚きを隠せずに、こう叫びました。
「あなたの癌は、このたった三日間で、目に見えて、かなり小さくなっています。
それに、すべてのリンパ節の腫れもひいて、以前の半分くらいの大きさです!」
P150〜
2006年の夏ごろでしたが、アメリカに住むもう一人の癌専門医から連絡をもらいました。彼はピーター・コー医師といい、
自然に癌が治癒したことに興味を持っていると言いました。
私は彼と数時間電話で話をし、特に、病状と自分の体験についての詳しい内容を教えました。
それから、私の病歴に関する書類を彼にファックスで送りました。
その中には私が病院へ運ばれた2月2日の医師の報告書も含まれており、「リンパ腫、ステージ4B」という診断と、
私の病状と見通しが記載されていました。
これらの書類を読んだあと、コー医師が最初に発した言葉は、「この書類を見るかぎり、あなたはすでに死んでいるはずです!」でした。 P167〜
私にとって、もはや死は、他の人が考えているのとは異なるものになりました。ですから、誰かが亡くなっても、
嘆き悲しむことがとても難しくなったのです。もちろん、親しい人が亡くなると、この世でもう会えないことを悲しみますが、
亡くなった人のためには、悲しまなくなりました。それは、彼らがもう一つの世界へと移動し、幸せだと知っているからです。
そこで悲しんでいるはずなどありません。
P265〜
自分が死んだ時は、まるで夢から目覚めたような感じでした。どこかに行ったような感じではなく、
覚醒して、三百六十度の視野と、完全な共感覚(複数の感覚が同時に認識されること)が得られたようでした。
自分に関わるあらゆるものが見え、聞こえ、感じられ、わかったのです。私は、自分の過去、現在、未来を同時に生きていました。
さらに、私に関係する出来事は、壁や空間を超えて、すべてわかりました。
ですから、医師たちの会話が聞こえ、兄が飛行機に乗っているのが見えたのです。
以上です。
>>167
> それから死の第三段階へ進む。この最後の段階で、あなたは「エッセンスとの全面的な溶け合い」を経験し、
> その経験から分かれて現れ、終わったばかりの物理的な人生を振り返り、
> あなたの言い方で言うなら「先(霊的世界)へ進むか、(物質的世界へ)戻るか」を決定する。
瞑想などによって同様の体験が起こります。
例えば、音が聞こえるとき音の中に完全に入ってしまいそれと完全に同化してしまうと、
私は消え、音だけになります。
それが音であることを認識する私がおらず、
音しかないので、つまり音以外がないので、
もはやそれは音ですらなくなります。
それは私のまったく知らないものです。
「エッセンスとの全面的な溶け合い」とはそういうことですよね。
ただしこれらの理解はそこから出たとき、
つまり振り返ったときに起こります。
その中にいるときは、私がいないとか、
音しかないとか、知らないものであるとか、
といった認識はありません。
認識する主体がないので当然です。
実は、このようなことはしょっちゅう起こっています。
自分の考え、つまり分類し判断することに忙しくて気づかないだけです。
その意味で、しょっちゅう死んでいるのです。 臨死体験は死んでいませんね。
あくまで臨死、つまり死と向き合いその場に居合わせている体験です。
体は機能を停止しているけど私がいるということは、
私は死んでいないということです。
まあ、エッセンスの中に入ったり出たりしている、
といったところでしょうか・・・。 現実とは脳が見る夢です。
脳が(あるいは体がと言った方がいいかもしれませんが)、
体験することはそれがどのようなものであれ
私という固体にとっての現実になります。 すべてが幻想であることが分かりますと、
私というものの方針について頓着する必要がなくなります。
こうでなければならないんじゃないかと思い煩う必要がなくなり楽になります。
私はどうでもよくなります。
こうでもああでもいいのです。
どんなに人と違っていても気にならなくなります。
自分の歌を歌い、自分の花が咲きます。 一番正しい教えなんてありません。
釈迦が説いた教えは実は人生哲学であって宗教ではない。
だから釈迦は摩訶不思議は説いていない。それを後世のバカが宗教に
してしまった。だから仏教も正しい教えではない。
なぜ宗教なんてバカなことを現代人が信ずるの?
今は人間が月に行く時代。宇宙のことも物質のこともかなり分かって
来ている。なのに何にも分からなかった時代の無知蒙昧な人間の世迷言
を信ずるの? >>178
「唯物論」が『一番正しい教え』だとでも思っている?
だとしたら、あんたが一番バカかもしれませんね。
いつの時代にも、「未知なるもの」があり、どの時代にも、最先端にいる人は「誰も知らないこと」
を解明するために心の汗をながしているのです。そして自身がたどりついた結論の「その先にもまだ何かある」と感じつつこの(この世の)人生を終えるのではないでしょうか? >>179
>>178の文章から唯物論を導き出すお前のほうが超が付くバカwww 兄弟に対して怒る者、…ばか者と言う者は、地獄の火に投げ込まれるであろう。
…祭壇に供え物をささげようとする場合、兄弟が自分に対して何かうらみをいだいていることを、
そこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に残しておき、まず行ってその兄弟と和解し、
それから帰ってきて、供え物をささげるようにしなさい。 「わたしは愚かである」
と認められる者こそ、
賢者である。
逆に「自分は賢者である」
と思っている者こそ、
愚者と呼ぶにふさわしい。 >>177
私も色々変遷してきました。
中学高校は平井和正とGLA、
大学は統一教会とプロテスタント、
社会人で「波動の法則」と「神との対話」、
後にクリシュナムルティの書物と出会い、
更に後に2chで仏陀の教えをストレートに受け継ぐと一部の人に言われる
原田雪渓氏の「自我の本質」や町野久義氏の「禅友に贈る書」と出会い、
禅というものを知り、
瞑想によって無色透明中立で未知のものを体験しました。
世にどんな情報があろうとも、
自分と向き合うほか無いのですね。 >>178
> 一番正しい教えなんてありません。
同感です。
何事にも固執せずどのような教えも無しに生きるとき、
人は最も軽やかなのかもしれませんね。 >>181
>>182
聖書の一節ですね。
「自分は賢者である」と思っている人も、
「自分は愚者である」と思っている人も、
同じ土俵の中にいます。
怒ることや、ばかと言う事や、
そしてそれを悔い改めることなどは、
同じひとつの土俵で行われています。
たとえるなら御釈迦さんの手の平の上で飛び回る孫悟空です。
これらとまったく異なる次元を知る事で、
人生はとても楽になります。 >>1
キリスト教よりはイスラム教がベターだと思いますが。
そして天理教よりは日蓮系がベターだと思いますが。 【富豪きどり、株主″】 マイトLーヤ『日本人の投機家たちは、高いビルの窓から、飛び降り始める』
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1529546724/l50
株は企業のもので、ギャンブル場のものではない、株式市場は廃止しろ! 貴様らのケツの穴からは
ウンコが出てくる。
どうだ、正しい教えだろ? >>186
> >>1
> キリスト教よりはイスラム教がベターだと思いますが。
> そして天理教よりは日蓮系がベターだと思いますが。
ベストはなんでしょうか? >>189
> 貴様らのケツの穴からは
> ウンコが出てくる。
> どうだ、正しい教えだろ?
正しいです。
その程度ですか? >>190
それが、ベストの宗教はどこなのか、現時点では答えが分からんのですよ…
ただ、キリスト教と天理教に限れば予選リーグで敗退ww >>195
組織の論理優先で、肝心な救済力が大幅に低下しているからだと
総長氏がどこか別のスレに記載しているのを見たことがあります。 >>196
組織は組織となった時点で組織であろうとする力が救済力より優先されがちですね。
さて救済についてですが、
どのような宗教にも私は救われたという人がいます。
リンゴで幸せになれたという人もいれば、
マンゴーで幸せになれたという人もいます。
どっちが正しいという議論はいつも不毛に終わります。
では、リンゴもマンゴーも無しに幸せになることはできるでしょうか? >>197
いやですから、それは正しいのですが、
その程度であれば、イエスは神の子であるという主張と同じ土俵です。
○○が神であるとか、○○が正しいとか優れているとか、
そういった次元を超えることはしないのですか?
という問いです。 ::::::.'´.:::::// / / l __/___l_ ヽ :::::::::::::::::::: ___
:::::::::::::::,' _ .ノ i l l '´7 ̄ ̄「`,'! l ヽ、:::::::::::::: / ヽ
:.:.:.:.:.:.:..! `ーノ , ! !人!、 ト、 ,' l/l | , ! !`.:.:.:.:.:.:.: / そ そ お \
:.:.:.:.:.:.:,l.. -‐' , ,.イ ヽ l >、!‐V=- 、 l/! l / ! i| |.:.:.:.:.:.:.:./ う う 前 |
:.:.: : : :`!ー - ‐'ィイ | |l l^` / /⌒ヽ `}! l ,l/! `メ、 !.: : : : / な 思 が
:.: : : : : >!、 , !.! ! l l {! l 。 ! lノ ィ=V、 i,!: : :l ん う
: : : : .,ト、`<´...::!:l. ! ! | ヽ _ノ , '´`i,l| ,/ i | : |. だ ん
.: . /`>-ヽ.:l.:l:.:l l l ー:::. l.。 / 'i/ !、! |. ろ な
.: / /.:l,ィ'´`ト、:.:.| l | ー< / ,' ヽ う ら
,' /.:.l.:.l l.:.:!.l..l ! l l:〉 /,/ / ゝ
, .:l.:.:l l.:.:.l i、! ! /ノ| /l /
, .:.:.:.:| l.:.!ノ.レ| i l __ / l::lノlノ / お ・
! .:.:.:i.:l ,L:ノ l | ト、 ´ー`' /.: l.:| .| で 前 ・
. l :.:.:.:l:,!-< `ヽ、l | l:::.\ ,. '´|:.:.:i l | は ん ・
..! :.:.:.l,ィ^ヽ、ヽ、 ヽl :l. l .:.:.:.ヽ、 , ' l:.!:.:l ! | な 中 ・
.! .:/.:.:/ \\ l l l .:.:.:.i'´`´ l:l.:.:| | l /
. 〈ヽ、/ \ヽ、.l :l l l`ヽ、ー-、 ll.:.:.:! l \____/
/´`ヽヽ、 `ヽ、l l ト、 ``.:.:l l:..:.:.| イ| 究極と言うなら無宗教で道徳を勉強し
生きるしかない。ホントに神や不思議な
力があるなら特定の宗教だけが救われる
とか最高の人間になれるとかはない。 科学はつまり観察日記まとめに過ぎず
その観察領域は(全域から見れば)無限に薄(ペラ)いという事実 - -;
ペラ部を超えた深い領域で分かった事など何ひとつ無い - -;
ペラ学者の中にはメタ異世界の存在を想像できない者さえ居る - -; >>1
🙋 取り敢えず 究極(時空・因果無限遠)は不可知 w 犬なんてうるさい動物は地球上からいなくなればいいのに
せめて日本からいなくなればいい AI上に自意識や感情を構築する愚か過ぎる(不可能な)夢は
いざ実現すれば「不吉な娯楽」以外には何の使い物にもならない 笑w 🙋 >>205
> どうやって幸せになるのか
過ぎたことをいつまでもくよくよしないこと。
自分についてこうでなければならないと決め付けないこと。
意識を自分の内ではなく外に向けること。 >>206
人に迷惑をかけないで生きることができるのでしょうか?
良かれと思ってしたことでも、相手によっては迷惑と感じるかもしれません。 時間 空間 可能性 法則 摂理 意識 生命
の正体も誕生機序も明かせないのだから
どんな科学論理も究極的には不確定に沈む事になる - -; >>207
> 科学はつまり観察日記まとめに過ぎず
> その観察領域は(全域から見れば)無限に薄(ペラ)いという事実 - -;
> ペラ部を超えた深い領域で分かった事など何ひとつ無い - -;
> ペラ学者の中にはメタ異世界の存在を想像できない者さえ居る - -;
深い領域とは例えば何でしょうか? >>208
不可知であることをどのようにして確かめたのでしょうか? >>210
「不吉な娯楽」とはどのようなものでしょうか? >>211
不可知であることを確かめることができるのですか? >>215
> 時間 空間 可能性 法則 摂理 意識 生命
> の正体も誕生機序も明かせないのだから
> どんな科学論理も究極的には不確定に沈む事になる - -;
これらの正体は何でしょうか? >>216
深い領域とは例えば何でしょうか? ← ↙ こんな事ゃ 🙎
唯物論で意識(メタ現象)は解けない 分かってんやろ? 👴
意識誕生機序は? 🙋 生命誕生機序は? 🙋
時間誕生機序は? 🙋 空間誕生機序は? 🙋
法則誕生機序は? 🙋 摂理誕生機序は? 🙋
機能誕生機序は? 🙋 可能性誕生機序は? 🙋
ペラ現実の基本構成要素の正体は何一つ明かせない w 🙌
つまり 現実は背後(不可知)の永遠無限メタ複合構造総体に因っている w 👴 >>217
不可知であることをどのようにして確かめたのでしょうか?
↑ 論理的に 🙋 時空・因果無限遠には辿り着けない 🙎 >>218 「不吉な娯楽」とはどのようなものでしょうか?
↗ 社会の要職は任せられないが
厳重な管理下でのゲーム相手になら使えるかも?という意 🙎 w 不可知であることを確かめることができるのですか?
↑ それさえ出来ない不可知領域から世界が生じていると思うしかない 🙎 >>220 これらの正体は何でしょうか? ← 不可知が気に入らないならkamiとでも 🙎 w 爺の身体の9割以上は過去に
近所のスーパーで売られていたものだが
誰もその様に爺を認識しないのは
爺の意識・生命主体が存在するからw 👴 >>221
もっと深い領域は無いのですか?
誕生するとかしないとか以前の。 >>222
> >>217
> 不可知であることをどのようにして確かめたのでしょうか?
> ↑ 論理的に 🙋 時空・因果無限遠には辿り着けない 🙎
すみません、日本語が分かりづらいです。
論理的にたどり着いたのか、たどり着けないのかどちらでしょうか? >>224
つまり確かめることはできないということですね。
>>225
つまりこれらの正体は分からないということですね。 >>228 論理的にも現実的にも辿り着けないよね? 😄 w
>>229 不可知は永遠無限に存在してるゆえに神秘は否定出来ない 😄 w >>230
不可知が存在している、ということにはたどり着いたのですか?
どのようにしてその存在を確かめたのでしょうか? >>231 時間や自己意識の正体は掴めんやろ? 🐼
時間機序 空間機序 可能機序 法則機序
摂理機序 意識機序 生命機序 創発機序
これら ↗ 「不可知体」が現象基本原理だから
神秘領域を否定する論理は存在し得ない 🙋 >>232
> >>231 時間や自己意識の正体は掴めんやろ? 🐼
時間や自己意識というものがあるという前提ですね?
正体をつかむということ以前の話をしています。
なぜ、時間というものがあると思うのでしょうか? >>232
> 時間機序 空間機序 可能機序 法則機序
> 摂理機序 意識機序 生命機序 創発機序
>
> これら ↗ 「不可知体」が現象基本原理だから
> 神秘領域を否定する論理は存在し得ない 🙋
つまり、あなたは不可知が存在することに論理的にたどり着いたということでしょうか?
否定する論理が存在しないから不可知があると? >>234
この無数の世界事象の如何なる根底にも辿り着けないし
(それらの根底が見つかるのも逆に壮絶奇妙だしあり得ないしw)
全方位の先の先は どうしたところで不可知じゃん? 🙇
時間機序 空間機序 可能機序 法則機序 摂理機序 意識機序 生命機序 創発機序 🙌 爺の身体を構成する素粒子群の殆どが
過去に近所のスーパーで売られていたものだが
自他共にそんな気がしないのは
爺の「意識生命主体」が存在するから 🙏 >>235
> >>234
> この無数の世界事象の如何なる根底にも辿り着けないし
> (それらの根底が見つかるのも逆に壮絶奇妙だしあり得ないしw)
> 全方位の先の先は どうしたところで不可知じゃん? 🙇
・・・ということに論理的にたどり着いたということでよろしいでしょうか?
あなた(人間)の頭が導き出した結論だということでよろしいですか? >>237
「不可知に論理の網を被せてその形状をなぞる 🙇」 ← これ気に入ってんょ 🙇 科学領域の外には
永遠無限メタ複合構造不可知総体の存在が必然演繹される 🙇 >>239
論理の網を被せてその形状をなぞれるなら不可知でも何でもないやろ 阿含宗について
阿含宗は阿含教を世に広めた所は正しかった。ただし出した人間が悪かった。故桐山靖雄は阿含経を出してる
ことを盾にして悪いことの方をしほうだいだった。悟りを得たときの分析法を間違えていた。
釈迦もキリストも阿含経が世に広まるまではとがまんにがまんを重ね、耐え、目をつぶっていたが、
とうとう人間界だけでなく、神々、仏々の界まで私物化しようとし、晩年に神々、仏々から襲撃をうけている。
だから、阿含宗は桐山から部分的には参考にしても今はおまいりはしちゃいけません。さらに黒幕だった
不動明王やイルミナティーもおまいりしてはいけません。この3体のいずれかに、キリストもヤーウェも
ガブリエル、アマテラスもルシファー、降三世明王、釈迦、アカシックレコードや宇宙(大日如来)などまで、
だまされることがあります。以前宇宙に大事なことが「そういうことはなかったんだ」と
言われ3日後に再び聞いたら「あったあった、ごめん」と霊媒師を通じて言われたことがありました。
彼らはいったん抹消され復活してくるところも抑えられ現在人格形成を修正中です。
また釈迦の骨がまつってあり釈迦もいますが、お釈迦様も悟ったときの分析法を少々間違え、
それによってその後の行動パターンも決まってしまってるので抹消はされないが、
そこは仏弟子達(舎利子やアーナンダ、毘沙門天や孔子も?)やキリストなどもとともに反省して直って
もらわなければなりません。そうしたらみんな阿含宗にいき徳を積み、その後解読された阿含経の7科37道品
をそれも改良してたどっていき悟りを開いたらいいでしょう。とにかく悟ったときの分析法は大事です。 高山市職員、死者の遺留金868万円着服容疑で逮捕 | 岐阜新聞Web
https://www.gifu-np.co.jp/news/20181204/20181204-95540.html
岐阜県警高山署は3日、身寄りのない死者の遺留金の一部約868万円を着服したとして、業務上横領の疑いで、高山市三福寺町、市職員の容疑者(32)を逮捕した。
逮捕容疑は、11月19日ごろ、市内の自宅で同5日に死亡が確認された無職男性=当時(88)=の所持金品約915万円のうち、約868万円を着服した疑い。
署によると、容疑者は同市の福祉課に所属。身寄りのない遺体を引き取る業務に携わっていた。男性が自宅で保管していた約915万円を署員から受け取っていた。
署によると、11月30日、市の公用車の中に現金200万円があるのを別の職員が発見。
容疑者が受け取った金とみられたが、市役所に保管されていた約40万円以外の残りが見つからず、市が「遺留金が合わない」と署に相談していた。捜査を進める中で容疑者が横領を認めたため、3日、署で逮捕した。「間違いない」と容疑を認めているという。
署は詳しい動機や使途などを調べている。
逮捕前の3日夕、高山市は記者会見を開いた。市によると、30日に見つかった現金について職員に聞き取りを行い、署に問い合わせるなどして調べた。
本来は遺留品を預かった記録を作成し、金庫などに入れて保管するが、今回は行われていなかった。市は遺留金の紛失が分かるまで預かったことを把握していなかった。
西倉良介副市長は会見で「事実を重く受け止め、管理体制の在り方を再点検し再発防止策を講じる。申し訳ありませんでした」と謝罪した。 霊魂とは
現行科学でも不明な
意識誕生機序に関わる未知原理への名称かと - -; ワールドメイトでは、宗教者としての、弱者救済の立場に立った、慈悲と慈愛の実行と、人道的見地に立った社会対応、
そして、社会良識に基づく誠実な対応という、3つのスローガンに基づき、福祉、教育、スポーツ、学術、芸術などの公益活動を、日本と世界で実践しています。
(社会福祉活動の具体例は、巻末をご覧下さい)
各地で野外祭事を行う際も、常に社会性を大切にして、地域に密着し、地域に貢献するよう努めてます。
http://www.worldmate.or.jp/about/policy/motto2.html
↑
ワールドメイト側の言い分 >>239
> >>237
> 「不可知に論理の網を被せてその形状をなぞる 🙇」 ← これ気に入ってんょ 🙇
論理が網ではなかっらたらどうでしょうか?
被せることができなかったら? >>242
> >>1
> 一番正しい究極の教えを疑え
すべては人間の認識できる範囲のことですね。 論理が網ではなかっらたらどうでしょうか? ← 「網」は自由な文学表現 🙏
被せることができなかったら? ← 腕次第かと 🙏
物理学は現宇宙下の物理の探究であり真理の探究には及ばない 🙇
洗脳ペラ解釈は言うに及ばず ペラ観測も全方位ー全能では無い 🙇
真理とは 不可知総体-永遠無限メタ複合構造総体機序原理 🙏 †
30歳くらいで急にイスラエル・ユダヤの田舎(ガリラヤ地方)に現れて、3年ほど布教して
33歳あたりで処刑されただけの、いわゆる大工の息子が、未だに世界一の有名人。
全世界総計約30億人ともいわれるキリスト教を信仰する人間の数。
聖書は現在もベストセラー継続中。人名も文化も戯曲も芸術も近代憲法まですべてが聖書を参考にされ、
とりわけイエス・キリストの影響が散見される。彼が生まれる前に書かれた旧約聖書には、
数え切れないほどのイエス・キリストに関する的確な預言・・・・たった3年だけ活動した人を
ダンテ、ゲーテ、ダヴィンチ、ドストエフスキー、ニーチェ、パスカル、ニュートン、アインシュタイン、
そしてジョン・レノンが嫉妬するだろうか?
アメリカ大統領の宣誓式で新約の入った聖書を使うだろうか?
イギリス王室がキリスト教の洗礼式を行なうだろうか?
バチカン市国などという国家が存在するだろうか?
クリスマスが存在するだろうか?
またモーセを苦しめたエジプトのファラオ、古代イスラエル王のダビデ、息子ソロモン、あるいはネブカドネザル、
キリストを裁いたピラト総督、ヘロデ王、同時代のバラバ、サロメ、アグリッパ王、パウロ、 後の時代の
アウグスティヌス、ルター、ヤン・フス、フランチェスコ、マザー・テレサ・・・・みな実際に存在した。
歴史上の事実である。
信仰者数12億人ともいわれるイスラム教においても、旧約の聖書は啓典とされ、
イーサー(イエス)は偉大な預言者であり、wikiによれば、「イーサーは殺されることも磔にされることもなく、
生き続けて天国に上がったとされる。イスラームの伝承では、イーサーは最後の審判が近づけば地上に戻り、
司法を復活させて偽のメシア(al-Masīḥ ad-Dajjāl 。偽メシア、反キリスト) を打ち負かすと考えられている。
いずれにせよ、実際に我々が使用しているイエス・キリストを分水嶺に存在する西暦ひとつをみても・・・・
もしイエス・キリストの存在が嘘で未だに世界最大の影響力を示し続けているというなら、
あるいはそのほうが天文学的な確率の奇跡と言わねばなるまい。 >>1
完全なる愛の神を信じ、感謝づくめで生きる事。を教える宗教。 >>252
> 論理が網ではなかっらたらどうでしょうか? ← 「網」は自由な文学表現 🙏
> 被せることができなかったら? ← 腕次第かと 🙏
いえ、そういうレベルの話をしているのではないのです。
どのよな論理か?ということではなく、そもそも論理というもの自体がどうなのか?ということです。
論理が網ではなく、被せることができなかったら?というのは、論理それそのものを問うているのです。 論理は主に「言葉」で表現される
細かく言えばいうほど、穴が開くのが言葉の性質です >>254
> 完全なる愛の神を信じ、感謝づくめで生きる事。を教える宗教。
確かめるのではなく、信じるのですか? >>256 論理は理知性の中枢でおま 🙇
不可知に論理の網を投じ その領域をなぞる 🙇 名文ゃw 🐼 >>260
もちろん、本当にそういう神が存在するのかを「確」信することが大事だと思いますよ。
真剣に意識して、その認識を求めれば、神は証拠、確証を与えてくれると思いますし、
それが信仰や宗教の意義だと思います。
つまり最終的には「信じる」というより「知る」レベルになることだと思います。 >>263
> >>256 論理は理知性の中枢でおま 🙇
それはそうかもしれませんが、そういう話をしているのではないのです。
> 不可知に論理の網を投じ その領域をなぞる 🙇 名文ゃw 🐼
なぞることができるものということですね。 なぞることができるものということですね。 ← 理・知・感性次第やろねw 🙇 メタ感性 ペラ論がペラ洗脳に加えてペラ文明を牛耳る現実から
ペラ論が現実総体を把握可能とする妄想が芽生える事も頷けるが
その領域はメタ構造総体の無限に矮小なペラ領域に過ぎないという超現実構造w 🐼 インターネット掲示板に書き込まれている事を都合よく曲解して
名誉毀損だなんだって言い掛かりをつけて見境なくスラップ訴訟を仕掛けてきたら
かなり危ないカルト教団かな?
例えば
元信者が過去の教団の様子や行事を
当時を思い出しながら書き込む
↓
都合が悪いと思った
教団シンパかスタッフか盲目的狂信者が
コピペ荒らしでスレッドごと丸々潰す
これを数ヶ月に渡り延々と繰り返す
↓
元信者が
「コピペで荒らしたりスレッド丸ごと潰すのはよほど都合が悪いからだ
議論させたくないからだ
いつまでもそういう態度だとお前の所属する教団は反社会的カルトだとみなされても仕方がないぞ」
と書き込む
↓
教団の顧問弁護士、
元信者の件の書き込みを都合よく切り取り編集して
「当団体を反社会的カルト教団と名指ししましたね?
名誉権の侵害に該当します
つきましては訴訟して損害賠償を請求しますので個人情報の開示をプロバイダーに請求します」 信じるとは何か?
絶望の淵で信じられるものは何か?
それは自分のスピリット
人間は通常、時間軸の中で生きている
ところが、時間が全く存在しない世界がある
そんな所に自分の身を置いてみると、人間の五感の中では説明のつかない世界があることがザラにある
と言ったことはこのぐらいにして
夜、月を眺めていて何を感じるか?
とかシンプルなことで良い
人智を超えたものが夜空で輝く
人間と言う生き物は説明をつけたがるし、それは人間である以上構わない
朝には太陽が出て、夜には月が出る
太陽も月も人間が考えの及ばない所にあり、存在している
人間は時間に対しての知覚があるから、どうしても時間の知覚から生と死を考えてしまう 人間と言う生き物は、何かが存在するのか存在しないかについて考えたがる生き物
考え方の世界なので、どの人の考え方に優劣があるなんてことは一切無い
考え方に特別な決まりなど何も無い
例えば、何かが存在するしない以外の考え方として、
存在する、しないの枠の外はどうなっているかを考えたりしても良い
時間も実は存在する、しない以外のところにあっても構わない
死後の世界は存在する、しない以外のところを考えてみるとか
神は存在する、しない以外のところを考えてみるとか
存在する、しないは実は人間の脳が考えていること
この考え方だと信じたほうがより良い
存在する、しない以外の世界で物事を考えてみるのも構わない 時間軸を元に考えてみると、果たして時間とは何なのかと言うことになる
それは人間が生きていく上で、生命維持活動に必要なものだから脳のメカニズムの中に始めからセットされている
あくまで生命維持活動を行う上で脳が必要と判断し、例えば、脳が身体を休ませたいと考えれば、眠りに導く機能が働く
しかし、人間の生と死を考える時は、脳が持っている機能が邪魔をする
脳が「そういうことは考えなくていいから、さっさと寝て身体を休ませるのが先」
と言った機能が働く
ところが脳には唯一と言っていいほどの弱点がある
脳は、生命維持活動をどのように人間に指示していくと、脳自体が自らの死の時期はいつになるかもわかっている
ところがこれを人間に分からせないようにしないと、生命維持活動には良からぬ結果を出してしまうので、時として苦しませ、時として幸福感を得たりさせる 神
神は存在するし、存在しない
何をおかしなことを言っているのだ?と思われるが、そもそも神自体が、人間の考えがちな「存在する」、「存在しない」と言った人間の思考空間の中では説明の出来ないことから考えてみると、この「存在する」、「存在しない」の中で一生が終わる
それでも構わない
なぜなら人間と言う生き物は、とにかく自分の知らない世界を知りたがる生き物だから
人間として生きて行く以上、存在は確かめだがる
これは人間なのだから自然な思考
自然な思考なのだが、人間の思考と言うのは自分の考えている以上に周囲の環境から影響を受けやすい
そこから脱却するために信仰が有る
人間の凄いところは、人智を超えたものを自分の中においているところ 神に敬意をはらうことの意味
人智を超えたものは、少し探せばどこにでもある
夜、月の輝きそのものが人智を超えている
木が立っている
この木の存在そのものが人智を超えている
人間以外にも様々な生き物が生きている
そして生きていることさえも人智を超えている
時の流れで考えてみるのも良い
木は何故、秋に葉を落として、冬に葉が無い状態となるのか?
それは、雪が降って、葉がついた状態だと、大雪などで雪が木に沢山積もってしまい、重さで根ごと持っていかれたら自分が倒れるから
人間の脳だけが考えているなんて事では無いし、木も時間の移り変わりを知っていて、自分が何を準備すれば良いかを考え、やるべきことを確実に行っている
木も自らの生命維持機能を備えている
少し、話を戻して
この宇宙を創造主を人類は追い求めたがる
そして神は存在する、いや科学的に証明されていないからなどと人類が考え続ける
答えは
そう言ったことは神のみぞ知る >>260
そうかもしれない
人は答えやオチが欲しいが
人生と自然にはオチはない 「人生に意味がない」と考えるのが好きな人が大勢いるが
誰かが意味を用意してくれるわけじゃない
自分なりに意味を見つけて、自分に合った人生を送るのが良いかもしれないね
こういうと「自分なりの意味が間違ってたらどうするんだ?」と聞く人がいるかもしれない
じゃあどこから見て間違っているとみなすのか?
絶対に正しい意味を知っているのだろうか
誰も知らない。
だが自分なりに意味を見つけて、自分の人生を生きる。
これで人に迷惑をかけるかもとか、心配するのはわかるつもりだ。
それは他人が「俺の人生の邪魔をするな」と思っているからだ。
近くてもぜんぜん関わらない人生を生きていると
目の前にいてもまったく会話もしないだろう。
そういう人たちがどう生きても、関わらないんだから「自分なりには間違っていない」
全人類は、共通して正しいこと「絶対に正しい教え」があると思い込んでいるのかもしれない
人に迷惑をかけないように、めんどっちいからルール決めてしまおうぜと思う。
そう思う気持ちはわからないでもないが、天地自然にそういう効率はない。
天地自然はただそこにあって、生まれては消えていくのを繰り返しているだけである。 人間は心があるため、物事に区切りがなければどうすればいいかわからない。
だから分類したがり、意味を欲しがり、オチですっきりしたいわけだ。
だが天地自然にそういう区切りはない。
人間が中途半端で気持ち悪いと思って、ちょっとだけ横にずれてくれませんか
そうすると重なってわかりやすいんです、と思ったところで、自然にはそういう調節はない。
はがれかけた皮などは中途半端にはがれ、人間がいれば「これくらいははがしてしまっていいな」とはがせる。
だが自然だからはずれそうになったまま、ずーっと過ごしても構わない。
人間が勝手に決めたルールは、自然のままではないということだ。
人間が勝手に決めたことと、現実にはズレがある。
そこを埋まらないから宗教信者はキチガイと言っても意味がない 神は自然なら、中途半端を放置できるのはなぜなのか。
神を想定せずとも、はがれかけた皮などが中途半端に残っているのが普通だ。
人間のように、まっすぐでないと気持ち悪いから、中途半端に残らないでくれるかといっても自然が中途半端でも平気だ。
その程度のカオスは許し、ただ、存続さえしていればいいのだ、
そこに、人間が絶対に正しいと思っている意味というものはないのかもしれない。 いったいどのように生きるのが正しいのか。
自然が、人間にとって気持ち悪い中途半端があっても、それでかまわないという余裕をもつことではないだろうか。
人間が絶対に正しい「型」を求めるのは、ある程度区切りがないとどうしようもなからだ。
ある程度区切りがあるということは、ある程度は正しいということであり
どこまでも細かく決まっていなければキチガイとする考え方とは対立している。
それを裏付けるかのように、絶対に正しいものにこだわるなという人生訓がある。 なんでもかんでも細かく決まっていると思うのは、人間の錯覚ではないだろうか。
完璧な理屈を知らなくても、スポーツはとりあえずやってみることから始まるように
案外、やっていればなんとかなる面もあるのではないだろうか。
何とかなったところが、論理的に破綻するほどおおざっぱで、考えるところがないからといって
考えるところがないものをキチガイ呼ばわりするのは、正しさを強要する気持ちである。
すごく細かくきまっていないと人は気持ち悪い。
だが、あまり細かすぎると「絶対に正しいことにこだわるなかれ」と、抽象的な面から説教を食らっている。
なぜこんな説教を食らう必要があるのか。
人生の本質は、厳密に意味が決まって分類されて
絶対に正しい「たった一つの答え」で決まっているのではない、ということではないだろうか。
あまりにも忙しい人生(企業で奴隷並みに扱われ、自主性が欠如した生活)を生きていると
企業が勝手に用意した、企業だけに都合がいい社会が人生かと思えてくる。
しかし、仕事ができなくなったり、必要なくなって、人生を考えざるを得なくなる。
企業で奴隷にされていたのが本当に人生なのだろうかと。 スポーツで素人が完璧にルールを覚えるまでやらせてもらえないことがないように
人生は、とにかく生きていればだいたいはいいのではないだろうか。
そういうことでまとめれば
一番正しい教えとは、実は、厳密に決まっていないということではないだろうか。
完璧とは一つしかないことを意味するが、誰もが知っているように、答えが一つにならないことが多い。
どれがいいのか、決めてくれる理論を探したところで、死ぬまでにはわからないだろう。
完璧にわかるまで何もしないということは、永遠に何もしないことにつながりかねないのである。
正しさについて考えるときは、完全に正しい「完璧な」ものがないという事実から
考え直してみてはどうだろうか。
自分がどんなに正しいと思っていようと、他人が間違っていると言おうと
完璧はないのである。
完璧を探すのではなく、どこにも完璧がないこの世界でどう過ごすべきかを考えるべきだろう。 自分なりに生きていいのである。
まだそこまで思えていない人のほうが多いため、自分の中で「大体でいい」としておく。
人とは、とくに専門的ではない会話さえできれば、意思の意思の疎通は間に合う。
人間関係でかわされる会話とは、テストの問題文ではない。
人の問いかけに対する返事が、ノーベル賞をとれるような完璧な回答をする必要はあなたにはないのだ。
あなたには博士号をとれるほどの完璧なことなどいえなくてもいいのだ。 企業奴隷の人生が終わった後や、すでに一人で生きていくしかない人は
今までの他人の都合で完璧を求められていた考え方を外すことになる。
「こうでなければいけない」があなたを苦しめてきたのだから。
最低限のルールが守れれば、博士号をとるほどのことなど言えなくてもいいのだ
考えてもみよ
頭が悪い人は普通の人ほど賢いことも言えない。
だが今まで生きてきたのだ。
その人が完璧を求めて間違うたびに自分を罰したりはしていないだろう。
もともと頭が悪いことを自負していることもある。
大したことがわからないなりに、とにかく生きていられたらいいくらいにしか思っていない。
博士号をとるほどの人でも、そのくらいおおらかに考えてみてはどうだろうか。
案外、人生とは、自分が思っているほど負担がかからないものなのかもしれない 例として、自分を鍛えるとき
過剰に苦しまないとレベルアップできないと信じている人は、わかっていないことになる。
学習方法も時代が進むにつれて、そこそこわかってきている。
今は、私たちは過剰な苦痛を感じなくても、物事を学習できるのがわかっているのである。
なぜ私たちは今まで、学習とは拷問並みに苦痛を感じなければいけないと信じていたのか。
教えるほうの精神が未熟か、実力はあっても人を教えることがそもそもできない人だったからである。
今は、人は正しい学び方で学べば、たいていのことは身につくことがわかっている。
こういうと本当かと疑うかもしれない。
これが本当であることは、学生で最高レベルの学力を持っている人は大体経験していることである。
たとえば東大生は、自分なりに学習法を編み出して自分に施していたから東大に入れたことを、身をもって知っている。
このことを本気で疑っているということは、あなたは東大生のような勉強法をとれなかったのかもしれない。
これからは、正しい勉強法をやってみよう。
たいていのことは覚えていられるだろう。
正しい勉強法という言い方が気になるなら、身につくような勉強法をやってみよう。
今まで勉強がただの苦痛にすぎないと思っていたのなら、それは間違った学習法でやっていたからである。
教えるほうが、そもそも教えることができないため、あなたたちをちゃんと導けなかったのである。
実際に、学校教育は、生徒が勝手に学ぶのをひたすら待つしかできないやり方なのである。
生徒が勝手に学ばず、成績が上がらないまま卒業すれば、見捨てるのだから。 ただの苦痛だと思っているなら、あなたは「一番正しい教え」を他人から強要されている。
その経験から、他人が目の前にいないときでも自分に「一番正しい教え」を実行することを強要している。
自分が「一番正しい教え」を知らなければ自分を悪い奴だと思い、
「一番正しい教え」を自分に施せなければクズではないかと思ってしまう。
そう思うように育ってきたのだ。
だからこれからは「一番正しいこと」があるという前提を捨てなければならない。
「一番正しいことがどこかにある」と思ってしまうとまさに論理が破綻する。
答えが一つじゃない世界で、一つの答えを見つけようなど、できそうにない。
仮に、この世にある多くの答えの一つを、正しいとみなすと、それに合わないことが悪に見える。
さっき言ったように、自然に区切りはない。
人間が苦しいから悪といっているだけで、巨大な力で岩が壊れようと自然は悪いとは思っていない。
ただ岩が壊れただけである。
だが人間は骨折すると痛く、痛ければ悪いと思ってしまう。
そういう分類はないんですよ、というのがヒントになる。
厳密に論理が成り立たないものは狂っているとか、人間が勝手に思っているだけではないだろうか? http://wmdata.main.jp/jittai.html
↑
ざっと見て見ましたが
ワールドメイトさんにかなり都合の悪い記事ばかりですね
なぜワールドメイトさんは
このサイトの主催者に
「こんなの事実無根です!」
場合によっては
「名誉毀損案件です!」
と
記事の削除を要請しないのでしょうか?
早く警告文でも送って削除させた方がよくありませんか? ☆★☆★☆★☆ 一番正しい究極の教え
/ \
/ / \
/ / . イ ト、 ヽ
/ / / | l| \ ヘ ヽ
. / / / | :l l| \ ヘ l ',
/ ン'^⌒` | :l j '^´ ̄` \ i | ,
. ' l l/ | l / Vi | l
│ | l _,.ニ.,,_ | l:{ / _,ニ..,,_ i | |
| :| | ,ィfひ「ハ` |ハ / fひソハ\ i ,' │
| l /( {::::::ノリ j/ l:::::::ノリ )〉 j / |
│ lハ | ` `ー ' `ー '゙ '゙ / / l
. l lハ | :.::::::.: , :.:::::::.: / / ^l l
l l', \ヘ // /ハ } j ,'
. V{ l', l\ // ノ ノ ノ // 神なんて実在しないよね(*´・ω・)(・ω・`*)ネー
ヽl ', lハ `ー'⌒ ‐-‐' / __ イ // < 基地外の妄想だよね(*´・ω・)(・ω・`*)ネー
. \い个:.、 / , / // 宗教は欺瞞だよね(*´・ω・)(・ω・`*)ネー
\ |l:: .._ _. イ /〃/
`ヽ ー≧ュ.. __.. ‐ ´ |/ ´ '′
V} /{__
__/く_ _ -‐=彡 V\__
/:::::/∧{ /∧ /:::::::::::\ 遺族の個人情報漏えいの疑い 県警巡査を再逮捕/埼玉県(テレ玉) - Yahoo!ニュース
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190424-00010003-teletama-soci
病死した女性の遺族の個人情報を第三者に漏らしたとして、川越警察署の25歳の巡査が地方公務員法違反の疑いで再逮捕されました。
この巡査は、別の病死した男性の遺族に遺体の搬出に費用がかかるとうそを言い、現金をだまし取ろうとした詐欺未遂の疑いで逮捕されていました。
再逮捕されたのは川越警察署刑事課の巡査糸井祥太容疑者(25)です。警察の調べによりますと糸井容疑者は去年11月、川越市内の63歳の女性が自宅で病死した際、
検視を担当していましたが、ことし2月、女性の遺族の住所や名前などの個人情報を、携帯電話のショートメールで40代の男性に教えた地方公務員法違反の疑いが持たれています。
40代の男性は去年10月、川越警察署の管内で起きた傷害事件の被害者で事件の担当だった糸井容疑者と数十回メールのやりとりをしていました。
警察の調べに対し糸井容疑者は「間違いありません」と容疑を認めていて、警察は犯行の経緯や動機を詳しく調べています。 【13細目に】ワールドメイトは、どこから検討しても、カルト教団ではありません。 【抵触せず】 ・
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1539529113/
0001 神も仏も名無しさん 2018/10/14 23:58:33
日本弁護士連合会消費者問題対策委員会は、「宗教的活動にかかわる人権侵害についての判断基準」(13細目)を作成し、違法行為になりかねないような、宗教的活動について警鐘を鳴らしています。
ただし、この基準に従うと既存の仏教等でも、「人権侵害」と見なされる可能性が出てくるため、宗教界からは、基準の妥当性について批判が噴出しています。
しかし、それほど宗教全般に厳しいこの基準に照らしても、「ワールドメイト」は、一項目も抵触しておりません。
おわかり?
=↑==================↑=
矢印より上がコピペ 憲法、信教の自由により未成年であろうがその自由が認められている
背教者は未成年勧誘は問題と辞めた後に主張する
全て後出しの屁理屈では社会では通らんでしょうね
そんでもって、信仰の問題で未成年時に親から強制されたとの理由で、
仮にも親を訴えるアフォ、こんなアフォが世の中に存在するのか?とさっきから聞いている
今 だ 回 答 な し ( 笑 >>1
神の全知全能を信じる事。
神の完全なる愛を信じる事。
上記による、完璧・必然的最高恵みと導きのみ人生を信じる事。 つまり現世とは、決して楽々な人生ではないけれど、
最も喜び深く、感動的な人生が与えられているということを知る事。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています