(続き)

信じることは、継続的なエネルギーが必要ですね。
なかなか疲れます。
そもそも、信じていないから信じるわけで、
何かを信じるということは、信じていないことがベースになっています。
信じると信じないは表裏一体というわけです。
なので、信じる人は常に「万が一違ったら・・・」という恐怖を潜在せざるを得ません。
もちろん、強烈に信じることで 、
信じたものを体験することはあります。
たくさんの宗教があるように、人は信じたものを体験します。
見たいものを見るわけです。

ですが、自ら確かめたことは、信じる必要がありません。
目の前にリンゴがあるのに、リンゴがあることを信じる必要はないということです。

真に楽になるためには、何も信じず、分からないことは分からない、
という当たり前のことに落ち着くことです。

死を体験した人や厳密に検証した人はいません。
死んだらどうなるかは実際のところ誰にも分からないのです。
(脳が記憶していることを体験する人はいますが)

つまり、死は想像であり、信じることの範疇です。

脳は、分からないことに対して自分の定義をして安心しようとしますが、
その定義によってまた苦しみます。

分からないことを分からないままそのまんまを生きる、
つまり何も信じない、
目の前のことに集中する、
これがもっとも原始的でシンプルで純粋な生き方であり、
楽な生き方です。