妄想w



763 名前:神も仏も名無しさん :2018/07/18(水) 16:33:35.17 ID:J6/j75lq
4年前だったと思うけど、それに関与した、そこの伝道師に、この出来事で俺が、引いた引き金の出来事を伝えようと思い出していると・・・・・。
改めて、その荒業、ハイパー・ドヤ顔ものであることにきづいた・・・。
ま、人生に何度あるだろうか・・・・・。
そこから、ヒラメキ本業の修行が進むのだけども・・・・。

ある人を支援していて・・・・。内容を言うと有名教会なのでお里がばれます笑。
その支援協力者と頼みにしていた人がクリスチャンの人が、余命数か月と宣告され・・・。
「死にたくない」という絶望状態。
その人の家に頻繁に行く程深い付き合いがないが・・・・・。
このままほっておくと、魂の方が先に死んでしまう、
で、方策を閃いたのね。
当然、説教めいたことも言わない、死を受け入れろとも言わない、安易な慰め事言わない。

知り合いの親しく付き合いしてた人も末期がんだったが長くいきていたのね、その話と。「寝込むまで死はわからないよ」と話し、
あと、マタイの福音書のdvdが手元にない、コピーしてあげた、
ざっとその10分
程度の支援、これ上手く通る感触があった。
そのあとは、その人と深い付き合いないので・・・・・・。

で、その人が天に召して救急車に運ばれる時間に、遭遇するわけ、これも凄いやろ。
で、葬式で牧師が、礼拝時の証で、「病気を治す」と天に召す10日前にいっていたと聞く・・・・・。
牧師、伝道師になんらかの魂の余韻を与えたのね。

俺の策「うーーーん」ドンピシャではないか・・・・・・。と。
その人は、罪人要素が多い人だったのね、いい面もあるんだけど・・・。
たぶん、信仰の薄い場所から深い場所に移ったんだろうな・・・・・と。
最後を見届けた伝道師の話を聞くと・・・。そんな感じなのね。
余命少ない、と信仰・・・・・・。

この命の光と信仰の話を聞くと・・・・。

そこから・・・・・第2コリント1章3節、と俺の本業の修行への展開へと・・・・・。
凄い、過去の記憶から・・・。
それを行ったときは、命の光について考えなかったから・・・・・・。