>>773 スレ主
>無記というのは、在るかもしんないし無いかもしんない、どっちでもいいでしょ結果論なんだからさ〜〜って意味なんで、

それは陶工宗の解釈でしょう。 一度お坊さんに確認してみたらいかが。
無記というのは、形而学上の質問をした異教徒や入門したての弟子に対して、「君の質問には答えないよ」
と言って無言になっただけです。
真逆に舎利弗らの高弟らには、形而学上のことも「どっちでもいい」ではなく、丁寧に説いておりますので。
一例としては、5つの逝き先の法や4つの入胎の法なのです。

これらの上座部の法を参照した大乗もおこり、八千六百の法門と呼ばれてます。