苫米地氏の説をもう一度確認してみましょう。
「魂に階級があるなど、キリストも仏陀も言っていない」 ← これはそうですね。
「来世に良いところも悪いところもない!」 ← これはどうですかね?
イエスは、生前の行いによって行き先(天国入りか否か)が違うことを説いてませんか。
仏陀も「天、人、畜生、餓鬼、地獄」と逝き先が違うことを説いてますし、龍樹菩薩は詳説してます。

真光でも「人は皆神の子」と説かれており、魂の神聖そのものには差別はしておりません。
ただ生前の行い、魂の曇りの度合いによってクリーニング作用の程度が異なり、行き先も異なるだけで、
永い輪廻の中で上がったり下がったりすることは平等でしょう。

>輪廻が無くても!君は善き事を行うのだ!それが釈迦の教えなのだ!

それは通常の倫理、道徳の範疇ですし、君自身の仏教論でしょう。
なぜ釈迦は「四諦」や「八正道」を90歳過ぎまで説いて回ったのでしょうか。
これらの実践者は生きている間に苦しみを滅して、死後は輪廻することもないと説かれております。
輪廻することのない人々は阿羅漢とも呼ばれております。

>>330
>生きているうちに魂を根拠に差別して、死んでからも階級制に落とし込むことのどこに平等性があるんだ?

『階級性』という言葉に誤解を感じます。
下着が汚れたら洗いましょう、と言っているのであり、下着に高級とか安物とか差別している訳ではないでしょう。
このテーマの対話は過去ログでも平行線だったので、無記(黙して答えません)が相応しいと考えます。