■■■今、世界は無宗教が増えてるとか■■■
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ソースはNHKの海外番組「時空を超えて」で
やってました。 以前、確か米ギャラップ調査でもありましたね。
表向きキリスト教信者でも必ずしも全ての教えを
信じてないとか。ホントに心の優しい人や頭のいい人
なら特定の宗教の人間だけ救われるとか最高の人間に
なれるとかいう結論には達しないでしょう。 3.
特定の宗教ではなくして、
宗教一般、宗教もどき、に救われる。 無宗教でも神を信じてる人はいるだろうな
もう宗教は時代おくれなんじゃないかな 正しいことを望む神がいるなら
特定の宗教だけが正しいということはない 神はイエス・キリストを遣わされました。それなのに
先進国G7の中で、未だ頑なに
正しい神から逃げ回っているのはこの国だけなんですよ。
もうそろそろ年貢の納め時ではないでしょうか。
今まで聖書を読んでなかった日本人が、昨今、読み始めてみると
「わかる、今ならわかる。これはどうしたことか。
どうして今までは目が曇って見えなかったのだろう」ということになっています。
戦後、いろいろと考えてきて煮詰まってきたのでしょうね。時は満ちた?
どこのカトリック教会も聖書の勉強会は盛況ですから・・。 カトリック教会でゼロからスタートして洗礼を受けるとして、どんなに優秀な人でも
今年のクリスマスには間に合わないでしょう。来年の復活祭が最短コースでしょうか。
カトリック信徒になるのは、ある意味東大に合格するより難しいと言われています。
だから晴れて世界に通用するカトリック信徒になった時の喜びは一入(ひとしお)
と言えるでしょう。南米を旅行して、自分はカトリック信徒です、と自称するのと
自分は東大出てます、というのとどちらがあちらの人々が歓迎してくれると思いますか。
そして人生的に、人間的に価値があることだと思いますか。
カトリックを自称すれば、あの二十六聖人のいたジャポンからお前は来たのか!と
にっこりとほほえんでくれますからね。
眉毛りりしく神道です!創価です!と言ってごらんなさい。不審に思われます。
これが世界なんですよ。 この宗教以外は地獄行きなんて
神様がいたらひどい神様だよね。むしろ
無宗教が増えてるのは救いがある。 >>9
は?俗世心から離れたところに真理なるもの
があるとかは、仏教でも同じ
信仰が篤いほど信念として自我強化させるから、
異なる宗教、思想に排他的になり敵対的になり
争い、宗教戦争の元になる
かつてオウムカルトは、超越者への絶対視、
宗教による自己特別視があった
あなたもそのオウムの頭と変わらない >>2
ノンシュガーはシュガーが入っていないので、ノンシュガーが入っているのではない。 前世とか来世とか天国とか地獄とか科学的に確実な
根拠が出せない以上、おとぎ話と言えなくもない。
テレビに出る大学教授とか、あからさまじゃないにしろ
バカにしたようなこと言う人いるよね。 あからさまじゃなくしたように言うのはなかなか難しい。
流石大学教授w >>13
オウムは邪教。カトリックは世界が認める本物の宗教ですからね。
投稿の日時も2017年を刻んでいるではありませんか。 無宗教というのは、寿命せいぜい90年、弱い頭と弱い心の自分一代
で、結局、自分教という名の宗教をこつこつと構築していっているのです。
「俺は、私は無宗教だい!」と自称しても問題がないと思って
いたと思いますが、実は「俺は、私は自分一代で人生観や宗教を構築して
いってる自信家の自惚れ屋さんです」ということでもあるのです。
悪く言えば、の話ですが。 どんな人生観を基調にして生きるのか?
中学生の頃にもった野望や欲望を、大人になって狡猾になり
それを上手に隠して生きているだけの人。
人生観はなく、ただ歳をとって「生活の知恵」だけ身に付けている人。
「こんなときはこうするものだという生活の知恵の集大成」が自分。
大御所。そんな大御所がこの国ではもてはやされます。
ただ、単純にもてはやしたり、持ち上げたくないのは人の情。
それで、男か女かわからない半陰陽のような人が、少し軽蔑しがなら
昔から大御所やご意見番として一目、形だけですが、置かれるようになって
いると思うのです。マツコ、三輪さん、尾木ママ、美川さん・・。 ×男か女かわからない半陰陽のような人が、
○男か女かわからない半陰陽のような人を、
この国は精神的には爆発してますよ。 >>19
>>20-21
信仰の自由はありますし、アンチキリスト教でもないですが、
これだけは知って下さいと、一つだけ重要なことを教えたいのです。
世俗の価値概念は、思考で創られた観念であり、思想でもあり、
宗教も、思考で創られた思想です。
仏教は、その思想、観念の束縛支配からの解脱です。
人は思想、観念に しがみついて虚構の自我を構築させるわけです。
観念的な思いは、真の自己ではないのです。→苦悩からの解放
その真の自己でない思考が、神という宗教に しがみつき自我を強化させます。
仏教の立場からだと、キリスト思想に束縛洗脳支配された虚構の自我
になるわけです。
神という自我の明け渡しがあっても、異なる思想には排他的で宗教戦争も
現に起こし、選民思想のような自己特別視というエゴも生まれます。
こういう話は洞察力と厚い本で丁寧に解説しないと、仏教の智慧は分かりに
くいのです。まだ地球は平らだと信じられてた時代、超越的な神なる概念も
生まれるでしょう。誤解なく書いて置きますが、仏教は特に神を否定して
ません。形而上学的問題、つまり証拠根拠が不十分な話はスルーなのです。 >>5
> もう宗教は時代おくれなんじゃないかな
言えるかもしれませんね。 神なんて信じない方がまとも 聖書とかいって殺人鬼じゃないですか
害悪 テレビの放送大学で海外の歴史関係
よく観るんだけど、やはり、あからさま
じゃないけど宗教をバカにした形で
進行させている。民衆を調子よく利用
していくみたいな。民放じゃ大槻教授が
そんな感じだったよね。 インドのカースト制度も宗教関係だよね。
仏教が人間は皆平等とか言っても前世の
悪業が原因で低い身分に生まれたと言う
仏教の見方だってできてしまう。昔の
ヨーロッパだってイスラムとキリスト教の
戦争ばかり。そして今はイスラム国 因果応報をもちだし平気で死者を冒涜するのが仏教。
信じなければ地獄に落ちると言う教えがキリスト教。 >>29
今世における境遇は、前世次第という宿命論は、
正確には仏陀の教えでなく、古代インドに定着していた思想、ヒンドゥーですよ
まぁカルト似非仏教は、そういうこと教えますが
自覚的な正しい努力精進によって、苦を滅して
いけると教えるのが正統仏教
まぁ何か唱えれば救われる系仏教は、
現代仏教学、学術研究上、非仏説なんです
浄土天国も法華久遠仏もキリスト思想の影響 三世因果は仏教の教えじゃないのですか?
前世、現世、来世にわたり偶然はなく
全て原因があると言う教えでしょ? >>32
三世因果については、ブッダの本筋の教えではなかったと、どの学者先生も
ブッダは、現実尊重であり、解脱、涅槃は、現法において証知し実現すると
また元々輪廻転生思想は仏教ではなく、古代インドに定着していた思想
正確には、バラモン教のプリハッドアーラニヤカ ウパニシャッドの
転生思想、五火二道説
後に仏教と融合、最初は五道で、後に六道という観念形態になった
当たり前に定着していた観念なので、あえて否定せず受容し、待機説法として
用いていた しかし仏陀の本筋の教え(真諦、勝義諦)においては、
過去世、来世の思いは、真の自己に縁らず、妄執であり、
思いの執着依存、思想観念束縛からの解脱を説いたわけです(無我)
テーラガーター715
「われには、われが、かつて存在したという思いもないし、またわれには、
われが未来に存在するであろうという思いもない。潜在的形成力は消滅
するであろう。ここに何の悲しみがあるであろうか。」 > 三世因果については、ブッダの本筋の教えではなかったと、どの学者先生も
ホントですか?良かったら、その先生たちの
名前教えてほしい。すると三世因果と言う
言葉は、どこから出てきたのでしょうか?釈迦が
死んで500年後にできたと言う経の中に出てくる
のでしょうか?因みに不幸な死は前世の悪業と言う
話は増一阿含経、瑠璃王経、他いくつかの経に、
そのような解釈ができる部分があると言う
ことですよね? >>34
三世に渉る輪廻論自身の説明に力を致さなかったこと、本筋の教えでないこと
は、疑うことのできぬ事実であると、木村泰賢、中村元氏もそうです
三世因果つまり、輪廻、業報論は仏陀より一世紀遡るバラモン教の
理論家によって整備されています
それらが仏教に混入しているので、本筋の教え以外として話が出てくるわけです
しかしそこに囚われ執着せず、本筋の教え(智慧の解脱)が理解できれば、
33の通り、解脱、涅槃が実現できるわけです
なぜなら思考と同化している自己は、真の自己ではないからです
五蘊が空、無我→構成要素の心身≠私、私のもの
その説明は仏教教室になりますので、ご自身でお調べなさって下さい
思いはあっても思いと同化してない自己を、実現できる境地があるわけです >>34
PS.そうすると苦も滅することができますよね、思いと同化してない自己の
境地ですから、思考に支配されず、思考を道具として使っている境地と
言えばいいのでしょうか >>35
ありがとうございます。参考にさせていただきます。
中村さんの本は、すすめられて一冊だけ持ってますが、
まだ読んでません。でも、不幸な死は前世の悪業とか
自業自得とか言う仏教多くありません?正しいか間違いかは
別として、むしろ多数派みたいな。 >>37
そういう話は、創価、異端似非仏教カルトにありますね、今世の境遇も
六道で説明してますし、外道ですね、日蓮カルトの何が誤りか書けますけど
多数派の話をしたら、日本の葬式仏教も本来の仏教とは異なるわけです
日本には変化変容した仏教が入ってきていて、
日本仏教学会でも、学術研究上、大乗非仏説が主流を占めています
またこういうこと書くと洗脳された人が、攻撃してくるのでやめときます
著者中村元さんの入門用として、NHK出版の「ブッダの人と思想」をお読みに
なると本来の仏教が分かります ホントに神、あるいは不思議な力があるなら
無宗教で正しく生きることのほうが価値があると思う。 世間体とか常識とかお金絶対視の拝金主義とかの「宗教」によって心を病み自殺もするのが人間だからな。
科学で生まれた車や武器で人が毎年大勢死んでるのが人間社会だからな。
科学的認識が圧倒的になったのはせいぜい数百年。
しかし人間の脳はそんなに簡単に変わらない。脳には宗教的神秘的なものに心を寄せるような側面があるのは今でも同じなのではないか。
神とか超越的な悟りとか、神秘的なものに心を寄せ人々が集い、暖かい心になったり悩みが和らいだり前向きな気持ちになったり。
素晴らしいことではないか。 自己中な宗教より無宗教が増えているなら
思ったより人間は捨てたものでもない。
信じなければ生きていけない人は信じればいいけど
他宗教や無宗教の人間に攻撃したりこき下ろすのは
やめてほしい。 ブッダにしろキリストにしろ
見えないものを語るのだから宗教と捉えられる
両者とも自己中はよろしくないと言ってる
空の空と言ってるのは仏教もキリスト教も同じ 他宗教を攻撃したりこき下ろすのは
自分的には自己中だよね。正しいのは
当然、自分達の教えだけ。 倫理考えて共感能力が人間以外にも働くような人達は価値がある
無宗教といっても何も考えず自由だけほざく奴はいらない
実際に脳機能欠如者だし >>31
>>42
他スレでも書きましたがキリスト教の
テレビ番組で法華経の久遠実成も浄土宗の
阿弥陀様もイエス・キリストと言う人が
いましたが、どう思われます?因みに
キリスト教と大乗仏教は時期的に、あまり
変わらないのだとか? 宗教ほど気にくわないものはない
傲慢なデミウルゴス崇拝者どもめ >>45
それら大乗仏教は、キリスト教とヒンドゥの影響受けて、
出来上がったのは間違いないでしょう
客観的に宗教比較すれば、
原初の仏陀とイエスの教えに重なる部分がある
宗教改革運動家を神の子として、
新宗教を創ってプロモートに成功したのが、
パウロさん
このキリスト教の影響を受け信仰型の大乗仏教
が出来上がった
つまり元来は、
人間シャカブッダ、脱信仰執着、智恵の教え
ナザレのイエス、宗教改革者、智恵の教え
智恵の教えとは、俗世心から離れた真理の教え 実は大乗仏教がキリスト教の影響と言う
説があるのは最近知りました。いつ頃
からあったのですか?誰が言い始めた説
なのでしょうか? ☆
>>48 >大乗仏教がキリスト教の影響と言う説
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99
キリスト教(Christianity)
他宗教との関係
キリスト教、ユダヤ教、イスラム教(イスラーム)は、唯一神信仰を持ち、聖典の一部を共有している…
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E6%95%99%E3%81%A8%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99
仏教とキリスト教の間には類似点が見いだせる
文化的交流において言及される類似点
プラノ・カルピニやウィリアム・ルブルックといった13世紀の国際的な旅行家たちは
仏教の聖典、教義、聖人、禁欲生活、瞑想の実践、また儀式は、キリスト教のそれに匹敵し
ネストリオス派キリスト教の共同体は、伝統的に仏教徒の共同体と非常に近接していたと報告している
_ _ _
おじゃるの個人的な見解としては
円成実性を見ずして依他起性を見ることはできないので
瑜伽行唯識(ゆがぎょうゆいしき)とかの場合は
たとえば
大円鏡智の世界から → 阿頼耶識を観察するとうい感じらしいけど
キリスト教のことは、わからないけど
キリスト教の場合は
神の世界から → 個人の自我を見るというような観察をするのかしらん?
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%B3
ジョン・カバット・ジン
国際観音禅院(英語版)の崇山行願(英語版)に禅を師事し、ケンブリッジ禅センター(英語版)の創設メンバーとなった
マインドフルネス瞑想 ☆
>>49 >大乗仏教がキリスト教の影響と言う説 >>48の続き
おじゃるの個人的な見解としては
キリスト教の影響というよりも
バラモン(ヒンドゥー)とかからの影響という感じがします
多神教
古代エジプトとか? → バラモン(ヒンドゥー) → 後期大乗密教
ttps://kotobank.jp/word/%E5%A4%9A%E7%A5%9E%E6%95%99-93322
世界大百科事典内の多神教の言及
【神】より
…
多神教(エジプト,バラモン,ヒンドゥー)
一柱の神のみを絶対視する一神教(ユダヤ教,キリスト教,イスラム教)
ttp://blog.goo.ne.jp/hhynk/e/135d45345210d9384075a6349cf75349
大念住経(大念処経)
キリスト教のことは、わからないけど
キリスト教の場合は
神の世界から → 個人の色受想行識を見て
『この身体には…大便…小便などがある』というような観察をするのかしらん?
地の要素 、水の要素、火の要素、風の要素
『無明している世界の中の
この色受想行識は地水火風空識の微粒子に依存している仮の現れである』というような観察とか 無宗教と宗教と言ったときに、
無宗教=科学、現実
宗教=非科学、信仰
的なイメージでざっくり言ってるところがあると思うけど
例えば世界を支配する「お金」というもの一つとってみても、
これは非科学の信仰だよね
世間体や常識、肩書きで人や自分を判断するのも信仰的世界観。
赤ちゃんはお金を知らない、肩書きで人を判断しない。
まあ、おそらくこういう話は原始仏教的なのかもね。 教会やお寺とかの場って、
そういう肩書きとか世間的常識とかで人をジャッジするのをわきにおいて、
そのままの人間を迎え入れてくれるような場所 、
そういう意味があるのではないか。
世俗という宗教から脱宗教された場。
それこそアニオタが肩書きや年齢をとやかく言わず集い、アニメという神様wを語らったり、
メルヘンな雰囲気のメイド喫茶で現実を忘れたり、
虚構の世界観に没入した演劇や映画を見て現実以外を味わったり、
それらも似てるのかもれない。
ただただ己の体と向き合うマラソンとかスポーツも似てるのかもしれない。 >>51
見えてるものは偶像であり信仰ではない
原始仏教は精神哲学です ☆
瑜伽行唯識(ゆがぎょうゆいしき)とかの場合は
仮設としての
心(識)の仮の現れ(そして滅)を前提として
阿頼耶識が
自分の意識も
外界にあると認識されるものも生み出しているとする
末那識は
睡眠中でも深層において働き続けて
根源的な心である阿頼耶識を対象として、それを自分であると考えて執着し続けていて
我癡・我見・我慢・我愛の四つの煩悩をしたがえており、さとりに達するための障害があり
(「色受想行識が、それ自体、単独で成立している」という想いが依存している)
無明している世界の中の
>>51 >判断するのも信仰的世界観?
おじゃるの個人的な見解としては
無明している世界の中の
渇愛に依存して
誤ったあり方を掴んで離さないような固執が現れ(そして滅し)て
身体的な行為、言葉による行為、心による行為が現れ(そして滅す)る
無明に依存して
→ 渇愛に依存して
→ (信仰的世界観に依存して?) → たとえば良い悪いの判断をしている?
ttps://www28.atwiki.jp/buddha/pages/17.html
漢訳 第一義空経
無明に縁りて → 行に縁りて → 識に縁りて
→ そして「苦しい!」という想いが現れ(そして滅す)る >>54
ネーミングしているだけのように思いますね。
しかもその説明が正しいかどうかもわかりません。見かけだけは
緻密に研究しているように思います。仮に百歩譲ってそれが正しいとしても
なんになるというのでしょうか。例えば、夕日を観て美しいと思う心を
コマ送りで分析して、そういうことだったのか、と分かって何になるというのでしょう。
心のコマ送りの動きをネーミングして知ることに意味が
あるとは思えないのですよ。「こうなっているのですよ」「だからどうしたの?」
仏教はいつもそう思ってしまいます。 ☆
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%85%A9%E6%82%A9
(釈迦の死後百年から数百年の間に仏教の原始教団から分裂して成立した諸派の仏教
アビダルマ仏教ともいう
紀元前3世紀頃に原始教団が上座部と大衆部に分裂(根本分裂)した)
部派仏教とかで煩悩(心の働き)の分析が行われ
大乗でもこの(心の働きの)分析は続けられ
唯識が示した心(の働き)と煩悩(の働き)の探求
ttp://www.newsweekjapan.jp/magazine/200561.php
特集:日本人が知らないマインドフルネス 2017年10月10日号
癒やしの瞑想 マインドフルネスの知られざる効果とは
(「マインドフルネス実践の為に心の働きの分析が必要である」という意味でつ)
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E6%B0%B4%E5%86%99%E7%93%B6
法水写瓶(ほっすいしゃびょう)
瓶から瓶へ水を一滴もこぼさないでうつすように
師匠から弟子へ法門を少しも漏れることなく伝える
_ _ _
おじゃるの個人的な見解としては
>>49 >>50 >>54 を見ると
キリスト教の影響というよりも、やはり
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%A9%E3%83%A2%E3%83%B3%E6%95%99
バラモン(ヒンドゥー)
人間がこの世で行った行為(業・カルマ)が原因となって、次の世の生まれ変わりの運命(輪廻)が決まる
人々は悲惨な状態に生まれ変わる事に不安を抱き、無限に続く輪廻の運命から抜け出す解脱の道を求める
『仏教は、バラモン(ヒンドゥー)からの影響である』という感じがします ☆
これは結局のところ
仏教(宗教)を信じるのか?
涅槃(ねはん、ニルヴァーナ)を信じるのか?どうか?
ということなのだと思います
無明している世界から解脱してる涅槃の世界から観察して
「想う」と掴もうとしている想いも手放して
「想わない」と掴もうとしている想いも手放して
非想非非想も超えて
涅槃の滅に触れて想滅定が生起して
そして
涅槃の世界から観察して
分別することなく
判断することのない心で
移り行く世界の様をありのまま見つめている
で結局のところ
仏教(宗教)とか
マインドフルネスとか
(臨床心理学とかの)フォーカシング(焦点合わせ、Focusing)とかに興味がないのなら
>>55 >(心の働きの)分析して、それが何になるというのでしょう
ということなのかもしれないと思います
おじゃるの個人的な見解としては
バラモン(ヒンドゥー) → 仏教 → マインドフルネスなど(心の働きの観察) >>55
>「こうなっているのですよ」「だからどうしたの?」
読んで笑ってしまいました
貴方は、順調な人生を送られてて、本当の苦しみを経験したことない
からでは
日本は、年間数万人の自殺者がいて、予備軍の人たちの苦しみの声も
聞こえてますか
順調な人生も、やがて苦悩に変わる時が来る時があるのですよ
その苦の滅を説いているのが四諦根本仏教です
また仏教によって、無知から気づいて、生きやすくもなります
人生は楽ちんと思っているうちは、仏教は不要でもいいのですよ
葬式という習俗だけでね
虚しさを感じたり、一度は生きる意味とか考えたことないですか
そういう答えが分かりますが、えーって、目からウロコですから
確かにそうだと、自分で確かめる方法があります 増一阿含経 瑠璃王経とか捏造と思って
いいのかな?因みに経って釈迦の死後
500百年後に出来たんでしょ? >>59
捏造というか、本筋の教え以外の仏教に混入されたもの
また待機説法として、在家向けと修行者向けの
教えも異なっていたが後に混ざったという
解説が中村元はじめとする仏教学者です
貴方がそこに執着、固執する思いも、
本筋の教えによって妄執と紐解けるわけです ☆
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%B9%97%E9%9D%9E%E4%BB%8F%E8%AA%AC
文献学的には大乗仏教の仏典のみならず
パーリ経典の大部分も釈迦の死後数百年にわたり編纂されたものであることが明らかとなっている
最古の経典も釈迦の死後100年以内の編纂とみなされているため
近代の文献学上は原始経典さえも釈迦の言説が明確に記録されているか否か明らかでない
それでも、とりあえず
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%83%E3%82%BF%E3%83%8B%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%BF
スッタニパータの第4〜5章がもっとも古く、元は独立した経典だったと考えられている
>>59 >瑠璃王経とか捏造と思っていいのかな?
『近代の文献学上は原始経典さえも釈迦の言説が明確に記録されているか否か明らかでない』
ということであったとしても、それでも
結局のところ
仏教(宗教)とか
根本仏典とか(或いは大乗とか)の経典の涅槃への導きを、どのように受け取るのか?
ということなのかもしれないと思います
ttp://www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/RuriouKyou/RuriouKyou.htm
流離王経
この経のテーマ(主題)は
等見とは
[ 涅槃(ねはん、ニルヴァーナ)の世界から観察して ]
敵と味方とを区別しないことであり
人種、貴賎、貧富、男女、一切を区別せずに等しく見ることです
それはとりもなおさず仏教の基本的テーマでもあるのです
釈迦族の悲劇は貴賎の区別から始まりました
この区別さえ無ければ、悲劇もまた無かったのです
無明の暗闇に覆われて
→ 渇愛(タンハー)に依存して
→ 分別に依存して → 『悲劇』という想いに依存して
→ 『苦しい』と掴もうとしている想いが現れ(そして滅す)る
それゆえに『無明の暗闇に覆われている世界から解脱せよ』という導きであるみたいな? ☆
>>58 >年間数万人の自殺者がいて、予備軍の人たちの苦しみ…
たとえば
おじゃるの場合は
後期大乗密教とかにも興味がある(肯定派である)けど
それでも
大乗の般若心経の無苦集滅道の意味を
『上座部系の苦集滅道という涅槃への導きは必要ない』
と誤解している人がたくさんいるかもしれないです
ちなみに
大乗の般若心経の無苦集滅道の意味は
(無明している世界の中ではなくて、そこから解脱した)
涅槃の世界では
「苦しい」という想いではない
「苦しみを招き集めている」という想いでもない
「苦は滅する」という想いでもない
「苦を滅する方法がある」という想いでもない
チベット ゲルクとかの場合は
「苦しい」と掴もうとしている想いは
それ自体、単独で成立しているのではない
それ自体の自性によって成立しているのではない
とういうような経緯もあったのかもしれないので
それゆえに
>>55 ID:15BP5oFyさんは
上座部系の苦集滅道 → マインドフルネス(フォーカシング)など
人間に肯定的な効果をもたらすもの
精神疾患に対する有効な療法
ということを知らなかったのかもしれないと思います
たとえば
「(創価学会とかの)法華経はインチキだ」
というような書き込みをする人も多いかもしれないけど
(とりあえず、そのことは置いとくとして)
>>64 ID:KsF8/Ftuさんは
何故?
「瑠璃王経とか捏造と思っていいのかな?」と思ったのでしょうか?
その理由をご教示ねがいますか?
ttp://www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/RuriouKyou/RuriouKyou.htm
瑠璃王経
たとえば
「世尊は、神足を駆使して」ということを理解できないから?とかでしょうか?
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E7%A5%9E%E8%B6%B3
四神足(四如意足)
自在力・神通力
観神足 − 智慧をもって観察する
(涅槃(ニルヴァーナ)の世界から → 無明している世界を観察する) >>65
経は釈迦の死後数百年後出来たと言われてること。
つまり、瑠璃王経に限った話じゃなくなります。
釈迦族の滅亡が釈迦族の前世の悪業が原因と
釈迦が言ってると書かれてると聞いてます。
これが不幸な死は前世の悪業と言う解釈と
する人がいます。三世因果は釈迦の本当の教えじゃない
なら釈迦族の前世は捏造と言う見方もできる。 ☆
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BC%AA%E5%BB%BB
輪廻(りんね)
仏教内における輪廻思想の否定
現代の仏教者、僧侶、仏教研究者の中には、「ブッダは輪廻を否定した」という主張が少なくない
…
松尾宣昭は
パーリ聖典には
「修業完成してない者は死後輪廻する、ゆえに修行を完成させて輪廻から解脱せよ」という趣旨の言葉が多く見出されると述べる
_ _ _
それゆえに輪廻を前提としてるものは
>捏造と思っていいのかな?
ということなんでつね?にゃるほろ了解でつ m(_ _)m
ttps://www.amazon.co.jp/%E6%AD%BB%E3%81%AF%E6%88%90%E4%BB%8F%E3%81%8B-%E9%AB%98%E5%B4%8E-%E7%9B%B4%E9%81%93/product-reviews/4333017777
雑阿含経 仙尼経
無明に依存して → 渇愛(タンハー)に依存して
それゆえに
釈尊の教えを聴いても、その意味を理解できなくて → 悟りをひらくことが出来ない
無明と渇愛(タンハー)に依存して
→ この現世においての色受想行識が滅しても異蘊相続して来世に心相続するのである
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%AD
業(ごう、 karman)
仏教およびインドの多くの宗教の説では、善または悪の業を作ると
因果の道理によってそれ相応の楽または苦の報い(果報)が生じるとされる
業そのものは、善悪に応じて果報を生じ、死によっても失われず
輪廻転生に伴って、アートマンに代々伝えられると考えられた
アートマンを認めない
(無常であり)無我の立場をとる(仏教とかの)思想では
(前世からの)心の流れ(心相続)に付随するものとされた >>66
中村元博士
「原始仏教では、在俗信者に善行をおこなわせるために、因果応報の理を
もって説いた。正しい行いををした在家の人は、天の世界に生まれる。
それに反して悪業を行った者は、地獄に堕するという。こういう輪廻説ないし
応報説が無我説と矛盾し、一致しがたいものであるということは、しばしば
学者に指摘されているが、原始仏教はかならずしも輪廻および業の観念を排斥
せず、むしろ世人の宗教的通念としていちおう許容したらしい。
では、なにゆえに許容したのであるか、というと、
「来世を信じない人は、悪を行う」(法句経176)からである。すなわち、
世人に善を行わせるために方便の教えとして説いているのである。」 ☆
>方便の教えとして説いている
↓これでつね?
ttp://www.wikidharma.org/index.php/%E3%81%97%E3%82%93%E3%81%9E%E3%81%8F%E3%81%AB%E3%81%9F%E3%81%84
真俗二諦(しんぞくにたい)
その当時のインドの人々にとって
仏教を理解せしめるためには世間的な考え(たとえば『輪廻している』)を一応認めて
さらにその理解のうえで
仏教を理解せしめるというやり方がとられねばならなかった
ttps://kotobank.jp/word/%E5%AF%BE%E6%A9%9F%E8%AA%AC%E6%B3%95-90970
対機説法(たいきせっぽう)
相手の精神的能力や性質などに応じてそれにふさわしい手段で導いていく
ttps://kotobank.jp/word/%E5%9B%9B%E6%82%89%E6%AA%80-281469
人々の心に合わせて導いていく
各人の宗教的能力を考えて導いていく
ttp://suttanipata.com/2017/03/15/%E3%82%B9%E3%83%83%E3%82%BF%E3%83%8B%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%80%80%E4%BA%89%E9%97%98%EF%BC%98%EF%BC%96%EF%BC%95%E3%81%AE%E8%A7%A3%E8%AA%AC/
スッタニパータでさえも
釈迦の言説が明確に記録されているか否か明らかでないかもしれないけど
それでも、とりあえず
もっとも古い経典だったと考えられている
第4〜5章 スッタニパータ 865
仮設としての
無明している世界に依存して
世の中で愛し好むもの及び世の中にはびこる貪りは、欲望にもとづいて起る
また、人が来世に関していだく希望とその成就とは、それにもとづいて起る
無明と渇愛(タンハー)に依存して → 来世に戻り来る いい意味で大人としての常識が解体された保育園児みたいな大人が真の無宗教者なのかも 救われるのが自分達だけ。
勝手に自分達は最高の人間と考える
人間よりは無宗教のほうが大人。 宗教って他の宗教だけじゃなく
無宗教も否定するよね。 >>1のソースになってるNHKの海外ドキュメンタリー
「時空を超えて」と島田裕巳氏の書いた「宗教消滅」
を見れば宗教信者が減少し、無宗教が増えてるのは
事実だろうね。まぁ、時代は変わるもの。 救われるのが自分達だけ。
勝手に自分達は最高の人間と考える
人間よりは無宗教のほうが大人。 >>1
ひとえに無宗教と言っても、ガチの唯物論というのと
特定の宗教を持たないだけで宗教的なものはしっかり持ち合わせている場合とでは大きな違いがあるんだけど… ただ餌を捜してるだけのゴキブリみたいにリアルというものが単純な生き物と違って、
多かれ少なかれ頭の中、社会の中にあるイメージ、概念、通念とかにつねに影響を受けてる、
リアルというものを形作ってる人間は
そもそもが宗教的存在 キリスト教もイスラム教も共通点が一つある。それは、自分達と価値観が違う人=人間じゃないと思ってる事。
つまりキリスト教徒は有色人種を人間じゃないと思い込み、イスラム教徒はキリスト教徒含む異教徒を人間じゃないと思っている。だから簡単に虐殺やテロなんかを行う事ができる。
日本に広まった仏教はこの世の無常という考えがあり、異教徒は殺しても良いとかって考えは無かったんで、
「原爆=異教徒ジャップに対する正義」とかいうキリシタンとか、「テロはジハードで正しい行い」とかいうイスラム教徒は同じ穴の狢で唯の基地外にしか見えません(笑) 八百万の神の国だしね
このだけの話
実は私も神様なんです(照 救われるのが自分達だけ。
勝手に自分達は最高の人間と考える
人間よりは無宗教のほうが大人。 心に宗教・スピリチュアル的な拠り所が無いのは本当に人生における大損だと思います。
2000年の少し前頃に発刊され、アメリカで異例のベストセラーになり、日本でもベストセラー、
いまや30数カ国以上に翻訳されて読まれているニール・ドナルド・ウォルシュ氏の『神との対話』シリーズ。
もし本当に「神の存在と恩寵」を確信したいなら、まず正しい「神の理解」が必要です。
単なる読書本ではなく、人生の観方と体験が変わるスピリチュアル本ではありますが、
思索的な哲学書として読んでも面白いと思います。
《10分ほどで読めて分かる『神との対話』》
https://conversationswithgod.wixsite.com/kamitonotaiwa-matome ☆ 私たち日本人の、日本国憲法を改正しましょう。現在、
衆議員と参議院の両院で、改憲議員が3分の2を超えております。
『憲法改正国民投票法』、でググってみてください。国会の発議は
すでに可能です。平和は勝ち取るものです。お願い致します。☆☆ >>82
仮に宇宙の法みたいなのを感じてたとしても
自分たちが入ってる宗教の人間だけが最高の
人間、あるいは救われると言う教えを信じる
人間とは、かなりの違いがある。ホントに
心の優しい人や頭のいい人が、こんな教えを
信じるわけがない。 このスレでゴキブリ、ゴキブリ連発してる
奴がいるけど当の本人がゴキブリだろ?
いや、ゴキブリにも失礼なくらいな糞。 つまり、こんなこと繰り返すしかない。
無宗教の人のほうが、まだ上かもね。 無宗教と思うなら信仰したらだめだよ日本は無宗教と言えるか難しいらしいよ 日本の初詣を初めて見たイスラム教徒が「日本人の宗教心は我々を上回る!」と言って驚いたのは有名な話。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています